十和田湖八甲田連絡道路 | 青森の鉛筆

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皆さん、こんにちは

青海林檎です青林檎

今日から青森ねぶた祭りですね

ねぶた記事を書いてる人はほかにもたくさんいそうなので今日の記事はだいぶ変わった内容を紹介します

十和田湖八甲田山連絡道路(山さ行がねが より)

戦前、十和田の御鼻部山から黒石近くの猿倉温泉までを結んでいた車道です

昭和一桁代に建設された道路で、元は地元の貧農救済措置で建設され始めた観光道路だったそうです(つまり、雇用対策の公共事業だったのですね)工事中

ただし、観光道路として利用されることはほとんどなく、戦争の激化に伴い、今度は軍用道路として利用される事になったようです戦車

終戦後は特に手入れもされずに放っておかれ、今では完全に自然に還った状態なのですが、その自然に還った状態っぷりは、山さ行がねがさんのレポを見ていただければ、よく分かります。

個人的には、戦前から「公共事業」の概念があった事に少しびっくりしました。

観光道路として整備され続けていたら、かなり便利な道路になっていたでしょうが、自然保護の観点からみれば、無くなってよかった道、とも言えなくないです

今の感覚からすると、尾瀬高原のど真ん中に車道が通ってる感覚でしょうか尾瀬

めちゃくちゃな話のように聞こえますが、当時は国力増強第一だったので、批判もほとんど出なかったのでしょう。

同じ八甲田山系の中には、上北鉱山もあったことですし、戦時中の八甲田山は一大増産地帯だったのです。

道路を残せ、とは思いませんが、こんな歴史もあったということで、郷土史を勉強する機会ももっとあったらいいなー、と思います


参考サイト下矢印

※注意
十和田八甲田連絡道路、上北鉱山の田代隧道ともに、半世紀近く未整備の場所です。
連絡道路はほとんどけもの道状態ですし、田代隧道に至っては窒息(低酸素・ガス)の危険のあるトンネルなので、閉鎖されています。
山さ行がねがさんでも言ってますが、こういった場所で死傷事故が遭った場合、施設の完全閉鎖や破壊が行われることがあります。
危険な場所ですが、青森の戦前の歴史を語るうえで貴重な場所なので、安易に行ったりする事の無いよう、お願いいたします(上北鉱山に関しては、安全に行くルートもあります)。
なお、当たり前のことですが、行ってみて事故に遭っても、青海の方では責任はとれません。


十和田湖八甲田山連絡道路(山さ行がねが より)※注意

田代隧道(上北鉱山)(山さ行がねが より)
※注意 

上北鉱山鉱山街の元住民の方によるHPです

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