映画『低開発の記憶』のシーン解説(歴史的背景) | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

昨日は少人数でしたが、それゆえに皆さんの反応を見ながら「ボデギータ」の清野史郎さんと、予定時間を超えてトーク・イベントをさせていただきました。
報告を兼ねて、以下に内容の概略を紹介しておきます。

 

キューバのみならずイベロアメリカ映画の最高傑作に選出(2009年)    

     

拙ブログ参考記事:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10187505696.html

 

シーン解説
① オープニング:ペジョ・エル・アフロカンの野外ライブ
  (革命は)アフロ要素を積極的に肯定。 人々の意識の後進性(低開発)=テーマ

② 空港
  1961年、まだ比較的自由に出国できた。 持ち出せる財産は厳しく制限された。
  革命後の家族の別離を描いた最初の映画と言われる。

  セルヒオの家族(プチブル)に対する(自己)嫌悪。
  セルヒオと家族の別離のシーンは、後のシーンで別の視点から再現される
  → 監督の意図:http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10040358582.html

③ 以下のシーンの始めから1分半まで:
 1868年の独立戦争(350年以上に渡るスペイン植民地)から
 米国の植民地化を経て、1959年の革命成就=真の独立が描かれている
 
                                          アントニオ・マセオの像(第一次&第二次独立戦争の英雄)

メイン号犠牲者の碑: 米国が独立戦争に介入するきっかけとなった事件の犠牲者追悼碑

                                                キューバの勝利(寸前)を米国が横取り

“帝国の鷲”が無くなった(米国の植民地状態からの脱却=真の独立)

セルヒオは望遠鏡に映った建物の壁に書かれている「第二ハバナ宣言」の文言

「この大きな人間集団は〈もうたくさんだ!〉と言い、歩み始めた」を読み上げ、茶化す。
(原作者のデスノエスによれば、革命の楽観主義への懐疑を込めたセリフ)

GIRON:プラヤ・ヒロン侵攻事件(CIAに組織された反革命軍による軍事侵攻事件)と

                                            捕虜の公開裁判

映画は、1962年10月の「ミサイル危機」で終わる。

 

⑤ 重要シーン

 

オリジナル音声:人々は自分たちに代わって考えてくれる誰かを必要としている。

 

    続く