紹介「アキラの恋人」プロジェクト | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

きょうは、マリオ先生の依頼で、先生が今情熱を傾けているプロジェクト「アキラの恋人」の紹介をさせていただきます。

このテーマ、今後も引き続き登場する予定です。

ご支援のほど、宜しくお願いいたします。


プロジェクト「アキラの恋人」  ハバナ大学教授 マリオ・ピエドラ
MARYSOL のキューバ映画修行-マリオ・ピエドラ

1968年。日本の故黒木和雄監督は、キューバに招待された。その前年、黒木監督の長編第一作「とべない沈黙」は、キューバ映画芸術産業庁(以下ICAIC)関係者の心を強く捕えていた。当時の日本で実践中の新しい映画表現が見られたうえ、社会状況に対する告発があったからだ。


黒木監督は、ICAICからキューバで映画を撮るよう誘われた。監督にとっては、長編第二作目、ICAIC当局にとっては、翌年に10周年を迎えるキューバ革命へのオマージュとなり得る作品だった。


こうして映画「キューバの恋人」は生まれた。撮影段階では「キューバ、シー(CUBA SÍ)」と題されていたが、結局このタイトルが使われることはなかった。(注1)


撮影にあたり、ICAICは黒木監督に一連の便宜を提供。プロデューサーにオルランド・ウェルタ、運転手2名、ICAIC備品の使用の自由、ホテル、食事の無料供与などがその内容である。キューバ人チームに加わった通訳のフランシスコ・ミヤサカ(キューバ生まれの日系人)は、製作に積極的に参加した。


黒木監督は仲間に働きかけ、まず撮影に「とべない沈黙」の鈴木達夫、主役には、驚くべきことに、人気俳優の津川雅彦を獲得した。


ストーリーは、日本人船乗り“アキラ”が、キューバで“マルシア”という美しい女性に出会い、恋をするというもの。黒木監督は、マルシア役に当時わずか17歳で、演技経験の全く無いオブドゥリア・プラセンシアを選んだ。

MARYSOL のキューバ映画修行-キューバの恋人1


ある程度の資金を手にすると、監督は、7人のスタッフ(内、日本人は4名)から成るチームで撮影を開始。キューバ全土を縦断しながら長編を撮った。それは、全くの冒険だった。


完成した作品は、1969年に日本で公開され、大きな論議を巻き起こした。一方、キューバでは、一度も上映されることがなかった。しかも、どの映画関係の文書にも全く記録が残っていない。キューバ映画研究家の間でも、存在すら知らない人がほとんどだ。つまりキューバでは、映画「キューバの恋人」は全く知られていないと言っても過言ではない。


筆者は、数年前に偶然、この映画の存在を知った。さらに、同作品のプロデューサーや通訳が生存していることが分かり、調査を始めた。その結果、撮影当時の状況や、日本人チームとキューバ人チームの間の緊密な協力関係について詳しく知るに到った。さらに、撮影に参加したキューバ人たちに会い、実際に話を聞くこともできた。


MARYSOL のキューバ映画修行-マリアン・ガルシア 調査には、ジャーナリストでテレビ番組制作者のマリアン・ガルシア嬢の協力を得た。これまでに、所在が不明だった主演女優を見つけ出したほか、プロデューサー、通訳、作曲家(ちなみに、この映画のために作られた「サンティアゴに行こう」という歌は、その後キューバを代表する歌となっていくのだが、誰もその経緯を知らない)、 「サンティアゴに行こう」を映画の中で歌った歌手、ICAIC関係者らと面談することができた。


また、調査資料を基に、マリアン・ガルシアはドキュメンタリーを製作することを提案。日本とキューバの唯一の合作映画「キューバの恋人」にまつわる全ての体験と史実を盛り込む構想だ。


今42年前のあの時のように、新たなキューバ人チームと日本の友人たちが、このプロジェクトのために協力し合っている。プロジェクト名「アキラの恋人」には、津川雅彦氏に対する敬意と、とりわけ故黒木和雄監督へのオマージュの意をこめた。なぜなら、監督はこう言っているからだ。「アキラは僕自身である」。


MARYSOL のキューバ映画修行-撮影中の黒木監督
撮影中の黒木和雄監督



注1:「キューバ、シー!」という同名のドキュメンタリー作品(クリス・マーカー監督/1961年)が存在する。


★写真は、すべてマリオ先生から送られたものです。