80歳を迎えるフリオ・ガルシア・エスピノサ | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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明日5日、キューバ映画の重鎮フリオ・G・エスピノサ氏が80歳を迎えます。
おめでとうございます!
「エスピノサ氏って誰?」と思う方のために、ここで簡単な紹介をしましょう。

        フリオ・ガルシア・エスピノサ

            Julio Garcia Espinosa
1926年9月5日、ハバナのカジョ・ウエソ地区で生まれる。
家具店を営んでいた父は、革命で店が国営化されたとき、大きなショックを受けた。
しかし息子のフリオたちにとって、それは“自分たちの映画”を作るという夢が叶うことを意味していた。


革命前の1951年、イタリアへ渡り、ローマの国立映画実験センターで映画制作を学ぶ。

この時の同僚に、トマス・グティエレス・アレアがいる。
帰国後の1955年、後のICAICを担う仲間たちと、短編ドキュメンタリー『エル・メガノ』を製作。

これはエル・メガノの沼地で木炭採取に従事する寒村の暮らしをを映したものだった。
ところが同作品は、当時のバティスタ政府から「反政府的」という理由で没収されてしまう。

この時フリオ達は「自分たちの映画を作るには、まず国を改革しなければならない」と悟る。

『エル・メガノ』は、革命後のキューバ映画史で“先駆的作品”と位置づけられている。

  

革命が成就した1959年、ICAIC(キューバ映画・芸術産業庁)の創設に参加。
同年、『われらの土地』などの短編ドキュメンタリーを撮る。
1961年:フィクション『Cuba baila(キューバは踊る)』を監督


その後エスピノサ氏は監督業にとどまらず、映画プロジェクトの選別や推進など、多方面に渡ってICAICで活躍した。
個人の仕事としては、1967年に『Aventuras de Juan Quinquin(ファン・キンキンの冒険)』を監督。

娯楽作品として大人気を博した同作品は、今では古典として位置づけられている。
また、氏が執筆した映画論『Por un cine imperfecto(不完全な映画ゆえに=仮題)』は、新ラテンアメリカ映画論として名高い。


1982年から89年まで、アルフレド・ゲバラ氏に替わって、映画部門を管轄する文化省(旧ICAIC)の副大臣を務める。
1989年、ICAICが元通り文化機関として回復すると、長官に就任(91年まで)
現在は、ハバナ郊外にある映画テレビ学校の校長を務めている。


その他の監督作品(フィクション)
1961年 El joven rebelde
1980年 Son o no son
1989年 La inútil muerte de mi socio Manolo
1993年 El plano
1994年 Reina y Rey (レイナとレイ)


フリオ・ガルシア・エスピノサ氏の活躍は、キューバのみならず、カリブ・ラテンアメリカ映画委員会や新ラテンアメリカ映画財団の創設など、ラテンアメリカ全体に及んでいる。


Marysolより
私が見たことのあるエスピノサ監督の作品は、『ファン・キンキンの冒険』と1994年の『レイナとレイ』。
1967年の『ファン・キンキンの冒険』が、楽天的なドタバタ喜劇だったのに対し、『レイナとレイ』は、一人暮らしの老女(レイナ)と愛犬(レイ)を軸に、「非常時」下のキューバの厳しい日常が描かれており、胸が痛くなるような作品です。
パブロ・ミラネスが歌う、美しいテーマソング『ヨランダ』が、傷ついた心を優しく慰めてくれるのが、せめてもの救い・・・
いずれ機会を改めて、ゆっくり紹介したい佳作です。

                 Reina y Rey

                 『レイナとレイ』(1994年)の一場面