おはようございます!やっちゃんです✨

今朝は「意味付け」について





生きているなかで僕たちは色んな出来事を体験します。


そして、その時その瞬間に色んな意味付けをしています。


これ、意識がある限り、思考が働く限り死ぬまで続きます(笑)


人生で物心ついてから僕たちは起こる現実について、どんな意味付けをしているでしょうか?


意味付けは、僕たちが持っている考え、信念に影響を受け「加工」されます。


そう、まさに「加工」されるんです。


例えば、AさんとBさんがいます。この二人に全く同じことが起こったとします。


ん~、ある日友達の家に遊びに行きました。
その友達の家には飼い犬がいます。
触ろうとした瞬間にガブっと噛まれてしまいました。


痛っ!

そして

Aさんはこう思いました「くっそっ!噛みやがった!」


Bさんは「あー、怖かったんだねゴメンね」

さて

同じことでどうして二人のこの出来事についての「意味付け」が違うんでしょうか?


そうです、ペットというものに対しての考え方、信念が違うからですよね。


Aさんはペットを飼ったことがなく、人生のなかでペットに対する「愛情」というものを体験したことがなかった。



Bさんはペットを飼っていて、まるで家族のように「愛情」をそそいでいた。


つまり、人は、人生で体験したこと、そして信念として自分でそれを受け入れてきたことを

いま起きたこの瞬間に活かしている!


「意味付け」するんです。


そうなるとどうでしょう?
Aさん、Bさんどちらの意味付けがいいですか?



起こることに良い 悪いはありませんよね。

だってこの二人の感情は全くの真逆なんですもん。

僕はどちらの「意味付け」もそれで良いと思います。


人はそれに氣付いたときに変われる可能性があります。


ただ、この人生という時間軸のなかで存在していくなら、「意味付け」は愛と慈しみの観点から観れたほうがお得なような氣がします(笑)


今日はこんな感じです(笑)
幸せですよね(笑)

今日もhappyいっぱいの素晴らしい一日を!🍀