そういえばこれ載せてなかったなーと思い立ちまして。

曹操や曹植達が戦に出て、自分は城に残った時に詠んだお見送りの賦。

この時の曹植は体調が思わしくなかったようですね。

それで余計に感じ入るところがあったのでは。



「感離賦」曹子桓


秋風動兮天気涼、居常不快兮中心傷。
出北園兮彷徨、望衆墓兮成行。
柯条憯兮无色、緑草変兮萎黄。
脱微霜兮零落、随風雨兮飛揚。
日薄暮兮无悰、思不衰兮愈多。
招延佇兮良久、忽踟蹰兮忘家。


秋風が吹いて涼しくなると、暮らしていく中で心が痛んでくる。

北園に出て彷徨っていると、墓が並ぶのが見える。

木の枝は色を無くし、緑だった草もしおれて黄に変わっている。

露が零れ落ちて、風雨にしたがって飛び上がる。

日が暮れても楽しいことなどなく、思いは衰えを知らず増すばかり。

手招きをするように佇んでいると、恍惚として立ち止まったまま家を忘れる。



忽=恍惚と訳したのは『曹丕集校注』の注釈を参考にしました。

親兄弟を想ってひとり詠んでいるシチュエーションだと、この訳し方が合うかなって。

しかし凄い意訳度(苦笑)


秋の寂しさと、城で家族の帰りを待つ自分の寂しさを重ねた賦ですね。

(この春先に季節外れなのを取り上げたもんだ…笑)

風の温度や草木の色の移り変わり。

私がこの時代の詩人が好きなのは、乱世にあってもそういったところに気が付けるのだと証明してくれているからです。

加えて、零れ落ちた露が風に舞い上がる描写なんかは本当に絵になって、寂寞とした作品に華を与えてくれてます。

日常の何気ない景色の一片に気が付き、想いを重ねることができる。

重ねるだけでなく拡げることができる曹丕の感性には脱帽です。(他にも優れた詩人はたくさんいますが、一般的に「三国志」で「簒奪者」にされている人物の素顔という意味で間違いなく贔屓目です。はい。)


この詞に関してはですが、構成として冒頭に①外面と内面(自分から見て)を半分ずつ、②2~4行目で外面、③5・6行目で内面の順で描いてますね。

もし私が現代の感覚で、極めて一般的な構成の歌詞として書くとしたら、Aメロ=②、Bメロ=①、サビ=③みたいにすると思いますが、①と②が逆であれ現代の詞の構成と似てるなーと気付きました。

視点の移り変わりのフェイズが明確にあるんですよね。

それによって盛り上がりのメリハリをつけて、最後に気持ちをぶつけて受け取る側の心をぐっと惹き付けてく。

最後の行とか、寂しさと不安で空虚に佇む様がすごく伝わりますよね。

といっても続きがあるようですが、散逸してしまったのか、私の手元の曹丕集ではここで終わっています。

この後どんな風に持っていったのか、言わば大サビが来るのかCメロが来るのか、すごく気になるところなのですが…。