できるものなら代わってあげたいという気持ちと、辛い体験はもうしたくないという気持ちとは同時に存在する。
人生を楽しいようにも辛いようにもするのは自分であるが、思春期においては、自分と他人の境界が分からず、困惑することが多いだろう。
楽しさは辛さを辛さと受け止めないところにあるが、ときに辛さは残酷なものである。
辛さはどのような形でその人に降りかかるか分からない。
これも受け止め方の違いによって随分と違ってくるのだが、自分と他人の境界が分からなくなっている時期においては、悪いように受け止めてしまうことの方が多いようだ。
自然体は、楽しさからも辛さからも離れたところにあるように感じるが、楽しさからも辛さからも離れると、人としての認識はほとんどなくなる。
人が自然体であるためには、楽しさを見つけ、また辛さにも耐えること以外にないようだ。
楽しさは辛さを封じ込めることもあるが、辛さは楽しさの基盤を根こそぎ破壊してしまうことがある。
辛さのために楽しさを見失った状態。
そのような状態にならないように、人を助け、人に助けられ、自分を助けることを知る。
これは自分自身の気づきであって、他人とは関わりのないことのように思える。
きっかけは他人からやってきても、結果は自分が導く。
きっかけが結果であると、よく勘違いしてしまうものだ。