電車の中でゲームをやるようになってから、ブログの更新頻度がかなり低下している
ゲームは面白い
少なくともそれに集中している間は。
しかし、やってもやらなくても何も変わらないのは事実だ
ゲームは、特に意味がないという点で単なる暇つぶしに過ぎないのだろう。
それ以上の意味がない
しかし、ゲームであっても楽しみであれば、それは人生の一つの目的となるのではないか
欲を出して、いろんな目的を持とうとするが、それらの目的がゲーム以上の意味を持つと言えるだろうか。
目的は、人が欲求を叶えるためのものである。
その欲求は低次元のものから高次元のものまで様々だろう。
自分のためにだけすることは低次元の欲求であると捉え易い。
他人のためにすることは高次元の欲求であると捉え易い。
一般的にいうゲームこそ、自分が楽しむためだけのものであって、低次元の欲求であるのだろう。
しかし、肝心なのは主観であり、自分がいかに楽しいと思えるかが、人生の豊かさを決める。
楽しみのある人は、他人にも楽しみを与えることができる。
楽しみを持たずして欲求は生じない。
高次元の欲求は、楽しみをさらに拡大させるものである。
高次元の欲求は、想像することが容易であるが、実際に行動に移すことは難しい。
基本的に我々には、自分が楽しむということ以外の要求は社会からなされていない。
建前上は他人への奉仕である仕事であっても、自分が収入を得るためのことに他ならない。
要求されないことの実行は、人を超えた菩薩の立場からであれば受け入れられるだろう
その菩薩は何処へ