在ることと成すこと

世の中、天災の影響や不況で物が売れないから、経済成長がなく、暗いイメージで捉えられることが多い。

作って売ることに執着すれば、生きる主体は物であり、人ではない。

人は物(市場)によって生かされる動物だと考えることができるだろう。

そこから脱出するために、在ることに執着することが考えられる。

こうすると、何も成さずに経済はますます衰退し、ますます世の中は暗くなるとも思われる。

本当にそうであるかはよく分からないが。

在ることに執着すると、ただ在ることだけに物足りないことに気づいて、生産的に何かを成したいと切望することになるのだと思う。

人の生きる目的は、自分自身の存在をを認め、他人の存在を認める方法で他人に働きかけることにある。

どのように成せば良いかが問題となる。

売れる物を作るか、必要な物を作るか。

必要な物といっても大半は、性能を向上させた物であったり、ものぐさを増長する物であったり、人の手間を省く物であったり、生産性を向上させる物であったりすることがほとんどだろう。

悲しいことに我々は物によって生かされるしかないのであろう。

カウンセリングなどの心理的作用であったとしても、社会にとっては補助的なことであって、物によって生かされるための貢献を図るために、人を方向付けることが目的となろう。

我々の知的財産の分野などは、ものづくりがなくなったら不要になるだけなのだ。

物によって生かされる。

おかしなことではあるが、あくまでもお金、市場も含めて物が主人である。

人はそれに従う使用人である。

この流れを止めることは極めて困難だろう。

我々のこの世での成功は、物に従い、より良い物を追求し、物によって溢れることにしかないのである。

これに反論するための意識の改革も必要かと思われる。

しかし、人の内面にしか存在しない意識の部分はあまりに未熟すぎて、人が物に反論する機会を得ないまま時は流れていくのである。