どうもこんばんは、りんですm(_ _)m



茨城県那珂市瓜連1275
素鵞神社(そがじんじゃ)
社号標

鳥居

敬神碑

手水舎

拝殿

拝殿扁額

本殿

稲荷神社

八幡宮

五蔵王神社

境内社

境内社

境内社

敬神碑

裏参道鳥居

裏参道社号標

車……?


創建は大同元年(806)と伝えられ、牛頭天王宮と称した


また、「那珂郡郷土史」によると大同2年(807)とされる


永禄2年(1559)正月、佐竹氏18代・佐竹義昭により修営


この修営は元禄8年(1695)の棟札に記されていると「茨城県神社誌」にあるが、明治12年(1879)に調査された「神社宝物録」には元禄8年の棟札の記載はない。


ですが、永禄2年の棟札は神社宝物録に記載されており【造営寄付者村中一同】とあり、永禄2年の造営は確実と思われます。


江戸期には村の鎮守となり本殿・拝殿を造営


天明8年(1788)、本殿大破により造営


この時造営したのが現在の本殿になります。


現在の社号である素鵞神社は天保8年(1837)頃から使われていたとされる。


明治2年(1869)11月、「那珂郡郷土史」によると明治6年(1873)に村内大塚の諏訪神社を合祀


明治6年4月1日、村社列格


「瓜連村地誌」によると、同年瓜連の浄土宗・草地山蓮華院常福寺(じょうふくじ)の境内より鹿島神社・静神社・白山神社・天満宮を移し末社に加える


明治18年(1888)、拝殿修営


明治40年(1907)3月8日、供進指定


昭和27年(1952)9月19日、宗教法人設立


昭和32年(1957)1月、拝殿屋根葺替・石垣改築


昭和35年(1960)12月、本殿葺替・幣殿新築


御祭神は素戔嗚命・建御名方命


さて、こちらは地元の方には「天王さん」と呼ばれている神社になります。


現在のご時世で私的に一番御神徳をあやかりたいと思う素戔嗚命を祀る神社ですね……


ほんっとどうにかならんもんかね(;^_^A


こちらには阿吽の牛頭天王とされる面も伝わっており、常陸大宮市辰ノ口に現在もある辰ノ口堰の役人であった水戸藩士・加藤寛斎の記した「加藤寛斎随筆」に記載があります。


この面を祭礼時に榊に結い付け、若者2人から3人が先に立ち、後からの1人が「ソラキオン牛頭天王」と節を付けて声高に呼び、脇に居る者が「疫病を払ツテヨイヤサウ〜」と歩いたと随筆に記されています。


「流行ノ疫痢ある時ハ、此面迎え入時ハ退散すること奇妙也と五・七里間の土俗深く信ず」とあり、付近の住民にとって疫病退散の霊験あらたかでありました。


この事から村で疫病が出ると面が貸し出され、その面を受け入れると疫病が退散すると言われていました。


その霊験は近隣の村々にも知れ渡り、ある時に片方の面が紛失してしまいました。


それからというもの、村では日照りや洪水に度々見舞われるので村人は多いに反省し必死の思いで面を探し出し、この後は写しを袋に入れて貸し出し阿吽の面は貸し出される事は無かったとされます。


明治19年(1889)、多賀郡大津村(現在の茨城県北茨城市)に赤痢が発生した折に請われ神輿が渡御し「祈祷シタルニ右悪疫ヲ減ジ霊験著シ」と「瓜連地勢沿革」の素鵞神社の項に記されているが、神輿が渡御したものの面の記載はない


こちらの神社で皆さんが多分気になるであろう車っぽいアレですが……


宮司さんに聞いたところ、山車を乗せて動かす為のものだそうです。



御朱印


こちらの素鵞神社が鎮座する瓜連地区は常陸国二宮の静神社や、前述した浄土宗常陸総本山で関東十八檀林の一つであった草地山常福寺もありますので、一緒に参拝してはどうでしょうか?