どうもこんばんは、りんですm(_ _)m


茨城県土浦市沢辺小野東城寺入会地127-1
日枝神社(ひえじんじゃ)
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社号標

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一の鳥居

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参道

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二の鳥居

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手水舎

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県指定工芸品 石造燈篭 永正8年(1511)銘

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拝殿


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本殿

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神輿


創建は大同2年(807)、近江国坂本・日枝神社の神霊を分祀したのが始まりとされ、東城寺の鎮守となる


弘仁元年(810)、この年より流鏑馬神事が行われるようになる


宝永5年(1708)、土浦藩領になり正一位山王大権現を賜り、山ノ荘(現在の土浦市沢辺・東城寺・小野・小高・大志戸・本郷・永井)の総社となる


延享3年(1746)、再建


明治2年(1869)、日枝神社と改称


明治6年(1873)、郷社列格


大正3年(1914)、供進指定


平成6年(1994)、流鏑馬が茨城県無形民俗文化財に指定される


御祭神は大山咋命


さてこちらは土浦市旧新治村北部、山ノ荘地区の総社で茨城県では流鏑馬が行われる神社として知られております。


由来は伝説によると


昔、山王境内に幸加(合勧木)の大木があり1匹の大猿が住み着いていて、里に出て来ては作物を食い荒らし農民を困らせていた。


供物を捧げてみても一向に収まらず、遂には東城寺より稚児を選び人身御供として差し出す事となってしまいました


それを知った大志戸甲山城主・小神野従羅天は志筑(現かすみがうら市)の弓の名手・市川将監を頼み、力を合わせ大猿を退治


この故事を再現し、山ノ荘の平安と五穀豊穣を祈願するのがこの流鏑馬となります。


おおまかな流れは、従羅天・将監・人身御供入場→従羅天出陣→神輿の渡御→人身御供退場→将監出陣→流鏑馬開始→21本の的を3本づつ7回


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左より従羅天・将監・人身御供

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神輿渡御

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人身御供退場

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流鏑馬

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将監が大猿に見立てた幸加の的を射り、この的木は幸せを呼ぶ当たり的とされます。


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的木


これは誰も頂けるのではないのですが、的の近くで見ていたら、いただいてしまいましたヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪


なお、流鏑馬の由来に出てくる登場人物である従羅天と将監は、いまでも末裔の方が務めているそうです。


こちらの流鏑馬は毎年4月第1日曜日、今年は4月1日に開催されます。


ストーリー仕立ての流鏑馬神事は他に類を見ないそうですよ(* ॑꒳ ॑* )⋆*


もし都合がつくならば、見に行ってはどうでしょうか?

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祭事でしたので、拝殿にていただけました。