どうもおはようございます、りんですm(_ _)m
やっと5月参拝に突入(笑)
福島県いわき市平下神谷字岸前210
澤村神社(さわむらじんじゃ)
江戸初期の慶安年間(1648-1651)、磐城地方は大旱魃に襲われる。
磐城平藩主・内藤忠興は、家臣・澤村勘兵衛勝為に領内の旱魃検分を命じられる。
この際、泉崎村(現・いわき市平泉崎)の光明寺に歓順法師を訪ね、旱魃に苦しむ農民の救助策を話し合い、法師の示唆を受け江筋開削の決意を固める。
領主に進言し工事奉行を拝命し、承応元年(1651)に小川村関場(現・いわき市小川町関場)の夏井川より引水事業を開始
事業開始より3年3ヶ月を費やし、水門17ヶ所の延長約30㎞の水路を完成
この水路は小川江筋(おがわえすじ)と呼ばれる
この水路完成により、水田1200haを潤し小川から四倉の村々は水不足から解消される
澤村勘兵衛勝為の功を妬む者の讒訴により切腹を命じられ、明暦元年(1655)7月14日に菩提所西岳寺にて切腹
明治9年(1876)12月、水利に恵まれた小川江筋下二千余名の住民により、草野下神谷に神社創建
御祭神は澤村勘兵衛勝為公
こちらは明治期の創建と比較的新しいのですが、旱魃に苦しむ住民の為に水路を開削した方を祀った神社になります。
さて、この様に功のある人物を切腹させてしまった訳ですが…
水路開削の際、大量の蛇が出てきて工夫が怖がってしまい工事が進まなくなってしまう事があり、勝為は蛇塚を築き利安寺を創建し除地5石を附け蛇を供養すると、蛇は出なくなったそうです。
奸臣は利安寺創建を責め、切腹の沙汰が下ってしまったのだ
いつの世も、人を貶めようとするバカはいるのだなと…
出る杭は打たれると言ってしまえばそれまでだが、こういう人材を庇護しないといけないですね(;´Д`A
事実、内藤忠興は平藩主時代に表石高7万石に対して、実石高は2万石もの新田開発をしてまして…
この新田開発は小川江筋の開削あってこその2万石だったとか?
また、勝為の弟子として開削にあたった三森光豊は、夏井川の南側に愛谷江筋(あいやえすじ)を開削しまして…
勝為の意志は次代に引き継がれていくのだなと( ´ ▽ ` )ノ
実は、三森光豊も水守神社(いわき市平山崎)の御祭神として祀られています。
ちなみに勝為が開削した小川江筋は、神橋の下を流れている水路がそれになります。