どうもおはようございます、りんですm(_ _)m


またまた久しぶりの更新になってしまいました(;´Д`A


相馬中村神社を後にし、すぐ隣…徒歩数分のこちらへ


福島県相馬市中村101
相馬神社(そうまじんじゃ)
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社号標

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鳥居

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手水舎

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狛犬

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拝殿

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本殿

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剣社

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神楽殿


創建は明治12年(1879)、中村城(馬陵城)跡に建立される。
旧社格は県社になります。


御祭神は相馬師常公


こちらは先に記事にした相馬中村神社の東側、中村城跡に鎮座しています。


さて、御祭神である相馬師常公ですが…


千葉常胤の次子で信田師国の養子になり相馬氏の初代、相馬を名乗るのは父常胤より相馬御厨を相続してからになる。


この相馬御厨(みくりや)、伊勢神宮の荘園でして…


平安末期、この御厨を巡り藤原親通や源義朝や佐竹義宗などの介入で、荘園の寄進とかで色々とゴタゴタがあったみたいですσ(^_^;)


相馬氏の通し字は「胤」だが、師常は通し字を使っていないのは常胤と師国から一字づつを使ったからではないだろうか?


下総国相馬を本拠とした相馬氏が陸奥国行方郡に下向した事により、この地域が相馬地方と呼ばれるなったことと思うだろうが…


実は相馬市は旧宇多郡に属し、相馬という郡は無く相馬郡が出来たのは宇多郡と行方郡が合併した明治29年(1896)の事になります。


しかも、相馬という名前の自治体が出来たのはこれよりずっと後、昭和29年(1954)の事なんですよ。


長々と相馬の事を書いたが、相馬氏の支配した藩名は中村藩という事もあり、地域名としての相馬は結構新しいんですよねσ(^_^;)


まぁ、江戸期は相馬領とは呼ばれていただろうが、旧支配者の名前を名乗るのは畏れおおいと思ってたのかなぁ?


とにかく、そんな相馬の名前の由来と言ってもいい相馬師常公を祀る県社、参拝してはどうでしょうか?



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社務所にていただけました。


授与していただいた後、他に参拝者も居なかったからなのか社務所にいた神社の方と東日本大震災の事で長々と喋ってしまいました…


ここで長々と喋り倒した関係で、予定していた神社(亘理の式内社)を周りきれなかったのだ(;´Д`A


まぁ、私が話好きなので色々と喋ってしまうんで、こういう事はままあることなのだが…


遠出している時は、程々にしないとなぁと思ってしまった(笑)