利休の茶 -2ページ目

夏の着物

我が家のお稽古では

生徒さんは

早く来て着物に着替えてお稽古をされてます。


着付けの堪能な生徒さんが着かたを教えてくださいます。

和気あいあいととっても楽しそうなんですよね!


何でも楽しみに変えてしまうとっても素敵な仲間です。


さて今は単物という裏のない着物の季節です。

7月になれば薄物、絽とか紗とか薄い生地の着物になります。

暑い季節に薄物を着てシャキッと夏帯をしめる時

私は決して暑そうなカオをしません(笑)

涼しげにしています。

そうしたら暑さも苦しくなくなるように思いますが・・・

やせ我慢でしょうか!?

友だち

友人の噺家 桂吉朝さんがしばらく体調を崩して休んでいましたが

来月から復帰する事になりました。

いつ帰ってくるかと待ちわびていましたのとても嬉しいです。

さて復帰第一弾はいつなのか?

ファンの皆様の間でもXデーはいつかと楽しみに待っています。


涙が出るほど笑わせてもらえるのももう直ぐです!

こころと美

茶の湯 こころと美 と題して

表千家のHPが今年一月から公開されました。

素晴らしいHPです。


どうしたら喜んで下さるか

「茶の湯はおもてなしの道」と言うことは何度もお伝えしていますが

ひとつの考え方ですが

茶の湯とは どうしたら喜んで下さるか を精神誠意考える事。

そしてそれを おもてなし という形で表すことかと思います。


お茶の点前は本来 茶の湯の中のほんの一部です。

おもてなしをする為に点前もきちんとできるように稽古をしているのです。

勿論点前からも多くを学ぶ事はできますが・・・


庭や部屋のお掃除も同じです。

打ち水などもまだしずくが落ちそうな水水しさで

しかも着物がぬれることの無いように肩の辺りは しずくが落ちないように工夫をします。

飛び石の水溜りはふき取ったります。


茶室の中でも全て細やかな心配りの中でゆったりと流れて生きます。


亭主はどうしたら喜んで頂けるかということに集中します。

またお客様も応えて感謝して喜びます。

そこに全てを巻き込んで「和」がうまれる様に思います。




そういう心配りを普段の生活に生かせるようにお稽古をして欲しいなと常々思っています。


そこでいつも感心するのですが・・・

生徒さんはみんな心得て日常の中でも

人を喜ばせる達人揃いです!!

今日もその事をつくづく感じさせてもらった嬉しい出来事がありました!!








正客2

正客はお客様の代表と大切な役目があります。


その事もあって大寄せの会では正客の譲り合いの場面に時々出会います。

明らかに、お正客にふさわしい方がおいでの時には

是非とも、その方に座って頂きたいですね!


でも居られない時は・・・

気楽な茶会なら

勇気を出して、どなたでも座ってみられるのがいいと思います。

そうしたらご亭主の方から上手に話題を作ってくださったり

これはと思うお道具の説明などもさりげなくして下さいます。

また、素直に何でもお尋ねされるのが良いと思います。


ご亭主はお正客様には特に心配りをしますから、

本当に貴重な体験ができると間違い無しです。


感謝の気持ちと自分が気付く範囲で良いですから

ほかのお客様への配慮を心がけると充分立派な

正客様だと思います。



お正客

茶室では一番目のお客様を正客と呼びます。

言葉は適切ではないかも分かりませんが

お客様の代表としての責任者です。

 

ご亭主も特に心を配リます。

 

ご亭主に何か尋ねるときもお客様が口々にお尋ねするということは無く

正客に任せます。

 

ですから正客は自分は知っていることでも

ほかのお客様が知りたいと思っていることに心を配り

会話の中でさりげなくお尋ねしたり、話題を作ったりします。

 

またご亭主の心使いに応えて感謝の気持ちを表すします

茶の本

天心がボストン美術館に勤務していた時に

アメリカ人に向けて書かれた事は意味深いかと思います。


国際人の天心がアメリカでなお日本の特に茶の湯の素晴らしさを伝えなければと思った事に非常に勇気を与えられました。



素晴らしい文化に気付いて欲しいと思う反面

それを伝える者の役割の大きさを感じてもいます。

啐啄同時の言葉どおり伝えるものとそれを受けるもののタイミングも大切ですが

伝える者が未熟では雛鳥の殻をつつく音を聞き逃してしまいますものね。








みんな大切2 のコメントに寄せて

岡倉天心の『茶の本』は『Book of tea』という著名で天心がアメリカの

ボストン美術館に勤務していた明治39年にニューヨークで刊行され

日本語に訳されるのは23年後の昭和4年だったそうです。

その間に仏訳も独訳もすでに出ていたそうです。



みんな大切2

木の葉は緑だけれども

よく見ると一枚一枚全部違っていて

薄緑の葉も深い緑の葉も虫に喰われた葉もみんながあって木になるんだ。


これは鈴木大拙翁の言葉です。

どの葉もみんな大切で唯一無二だと言うことだと理解しています。



茶道が禅の精神を基本に成り立っていることを知って居られる、又は意識されている方は少ないと思います。
私もその一人でした。30才を過ぎた頃、

お茶の研修会で大徳寺の小関宗園さんの「死ぬも生きるも同じ事」という講話をお聞きました。「死と生が同じだなんて何を言っているんだろう!!」大変な衝撃を受けました。

全く理解できなくていろんな本を読見ました。

その中で鈴木大拙の「東洋的な見方」と岡倉天心の「茶の本」(敬称省いてごめんなさい)
に出会いました。

特に「茶の本」は今までの茶道への考え方を大きく変えてくれました。

不謹慎ですが、目からウロコが落ちるようでした。


時々、あの時のことを思い出したくなります。



蛇足ですが

岡倉天心の「茶の本」も鈴木大拙の東洋的思想の素晴らしい内容が日本人より海外で関心が高い事にも発奮しました。特に茶の本は原本は英語なのです!!

利休百首に!!

以前点前の時、特に柄杓で湯をすくうときなど

その事に集中して、右肩が上がってしまうことがあると書きました。

その時、膝に置いている左手に意識を持っていくとバランスが良くなります。

人の体は不思議!

といったことを書いたかと思います。


なんと!利休百首にその



事が書かれていました!




右の手を扱う時はわが心 左の方にあると知るべし