昭和の語り部 | 70%Life

昭和の語り部

【認定調査】


市町村に要介護認定の申請を行うと、

保健師や介護保険担当課職員などの市町村の職員、

または市町村から委託を受けた事業者の

介護支援専門員(ケアマネジャー)が、ご家庭を訪問します。



認定調査で訪問するお宅は、基本的に面識のないご家庭です。

お互いに、初対面・・いろんな方がいらっしゃいます。





先日の訪問先、、大きな一戸建てのお宅。


調査票に記載された立会い人は。。。


対象者ご本人の同性の知人、、、でした 意外


(ご家族ではなく、、担当ケアマネでもなく・・・)



玄関を開けてくださったご婦人・・

この方が「知人」なのでしょう。


「今、本人を呼びますから・・・」


ご本人は、2階から・・階段を降りていらっしゃるようですが、


なかなか、時間がかかるようです。


途中まで降りてこられたくらい・・のところから、


声がかかりました。



「あなた、時間があるなら、、あがってらして。

私、階段を降りるのはシンドイのよ・・」



ご本人の後ろに従って、階段をあがります。

ご本人は、階段に手をついて、這うように昇っておられました。



お子さんのいらっしゃらないご本人は、ご主人を亡くされた後、


単身で家を買い、教師の仕事を続けられました。


昼間、留守を守ってくれることを条件に、


教え子一家と同居をすることになったそうです。



教え子は独立、教え子の父親にあたる方も死去され、


今は・・母親である婦人と二人暮らし、ということでした。



私が2階のお部屋に上がらせていただくと。。


レポート用紙を・・さっ、と出され、、

「あなたが何を訊きにこられるのか、わからなかったから・・・

一応ね、作っておいたのよ。」



レポート用紙には・・


ご本人をとりまく人々・・

ご両親、兄弟姉妹・・その配偶者に子どもたち・・の相関図と


ご本人がいつ教職につき、結婚し、ご主人を亡くされ・・・

今に至るまでの年表


年表には、第二次世界大戦勃発に、終戦・・なども書き込まれていました。



大正15年生まれのご本人いわく


「私はね、昭和とともに生きてきたのよ!」



東京大空襲のときのお話しや、教え子の就職話し・・・


う~ん、、本当に人に歴史あり・・・ですね。



ご本人が楽しげに、懐かしそうに、、語られるお話しは、




途中で切れることなく。。



訪問目的である調査は、、なかなか・・進みませんでしたが、、ウキャー!



生きた昭和史・・・を拝聴した1時間でした 苦笑






なんとか。。。調査を終えて辞去するとき、、


「あなたもね、今のうちに家の1軒も買っておきなさいよ!」


と言われてしまいました。がびょーん



昭和を駆け抜けてきた女性は・・・たくましいです 苦笑