ガラスの十代の頃、友人に宣言していました。
「私35歳で死ぬからさ~」
けっこう何度も言い続けていました。
理由としては、
・35まで生き抜いたらもう我慢しなくていいだろう
・35超えて老けてきて更に見苦しくなるのならつらいだけだ
つまり、なんの希望も期待も楽しみも、自分の中にはありませんでした。
自分には災いしか起こらないと信じていました。
アホですよね。
だけどそういった考えの持ち主だったんです。
「私35歳で死ぬからさ~」
けっこう何度も言い続けていました。
理由としては、
・35まで生き抜いたらもう我慢しなくていいだろう
・35超えて老けてきて更に見苦しくなるのならつらいだけだ
つまり、なんの希望も期待も楽しみも、自分の中にはありませんでした。
自分には災いしか起こらないと信じていました。
アホですよね。
だけどそういった考えの持ち主だったんです。
不思議なのですが、35歳になった途端、宣言通りになりました。
そういった考えを持つ自分が、死んだのです。
タイミングがちょうど、合っちゃって。
全てがなくなったと思った時、それでも残っているものを見まわしたら、
とってもありがたい気持ちになれたことで、違う自分が上乗せされたのかもしれない。
そして、ガラスの十代の頃、
そんなくだらん私の戯言を聞いてくれていた友人もいたのだと思い出し、
そんな頃でも周りに人はいたのではないか、と思うのである。
35歳は過ぎているが、リセットしてからまだ数年。
やりたいこともたくさんあるし。
歳を重ねて見苦しくなるかもしんないけど、それもまた楽しみでもある。
そういった考えを持つ自分が、死んだのです。
タイミングがちょうど、合っちゃって。
全てがなくなったと思った時、それでも残っているものを見まわしたら、
とってもありがたい気持ちになれたことで、違う自分が上乗せされたのかもしれない。
そして、ガラスの十代の頃、
そんなくだらん私の戯言を聞いてくれていた友人もいたのだと思い出し、
そんな頃でも周りに人はいたのではないか、と思うのである。
35歳は過ぎているが、リセットしてからまだ数年。
やりたいこともたくさんあるし。
歳を重ねて見苦しくなるかもしんないけど、それもまた楽しみでもある。