野菜の街:セバコ
「疲れた、疲れた」と云いながらも、週末になると出かけてしまうリカルドおじさんです。12月5日(土)は、マタガルパ県セバコ(Sébaco)です。
セバコはこれまでもう何度通ったでしょうか。というのも、この街は交通の要衝なのです。北のホンジュラス方面からエステリを経由してマナグアに行く幹線道路と、北東のヒノテガ、マタガルパ方面からマナグアへ出る幹線道路がこのセバコで合流します。マナグアからなら北へ105Km、車で1時間半の距離です。
いつもは通過するだけなので、今日は街をゆっくり見ることにしました。
マナグアからセバコの街の入り口に到着すると大きな標識が見えます。左はエステリ、右はマタガルパ、幹線街道がこの街で分岐することが分かります。
街の入り口に架かっている橋はセバコ橋ですが、ご覧のように日本の援助で建設されたことが大きく目立つように表示されています。
因みに、この橋が架かっている川は、リオ・グランデ・デ・マタガルパ(Río Grande de Matagalpa)といいます。この辺りは最上流部分で川幅は狭いのですが、実はニカラグア第2位の河川(約430Km)で、延々と流れてカリブ海に注ぎます。
街の入り口にあるモニュメント。誰か特定の人物なのかどうかは尋ね忘れました。
セバコの中心部を走る幹線街道。正面側がマナグア、写真の後ろ側に走ればマタガルパです。
北方のソモト、エステリ方面からマナグアへ行く長距離バスが到着しました。
中央公園です。普通の街や村は中央公園に教会がありますが、ここには教会がありません。教会は別の場所です。
狭い範囲ながらも商店街があります。ここも歳末商戦でした。
さて、実はセバコが有名なのはその農業です。野菜は何でもありますし、近くには水田もあります。この地域は一大穀倉地帯です。街道沿いには野菜を売る店がずらりと並んでいます。マナグアよりかなり安い。
特に、セバコの玉葱は有名。人参、キャベツ等々ないものはない。
他の街や村ではあまりないことですが、全般的にみすぼらしい家並みの中で、セバコにはこんな大邸宅が結構見当たります。通行人に尋ねてみると個人の邸宅だそうですが、貧困国ニカラグアではマナグアはともかくも、地方にこれだけの邸宅を見ることは稀です。「野菜御殿」かも知れません。街道沿いに一見みすぼらしい店を構えていても、実はかなり儲かっているのかなと思いました。しかし、この家、ちょっと趣味悪いね。
セバコからマタガルパに行くにしろ、エステリに向かうにしろ、街道は次第に山道になり山岳地帯に入っていきます。つまり、逆に云えば、セバコは山岳地帯から降りてきて、大地が盆地の中で平坦になった処にあり、リオ・グランデ・デ・マタガルパの水も豊富な豊穣の地といえるでしょう。
リカルドおじさんは、こういう想像をするのが好きなのですが、誰が見てもこの地形は水もあり生産力も高く、人間が集落を営むには最適の地と思われます。スペイン人征服者がやってくる前の先住民の時代からそうであったに違いありません。その証拠が次回ご紹介する遺物に残っています。
当然のことながら、スペイン人征服者もそう感じたはずです。実際、このセバコ盆地(Valle de Sébaco)は征服の早い時期からスペイン人が入植し、土地の先住民を酷使したため、1693年には先住民の大反乱が起きています。
上記のようなことに思いを馳せていると昼食の時間になったので、セバコの街の大衆食堂に入りました。
これがこの日のリカルドおじさんの昼食です。牛肉は禁じらているので鶏肉の唐揚げ(→火が通ってない部分があったので、かなり残しました)、マドゥーロという油でいためたバナナ(→こんなの食ってたら病気になるので、最初から残すつもり)、米(→これも油で炒めてあるので全ては食べられない)などなど、ボリュームがあるように見えますが、実際に食べられるのは僅か。これでコーラ付きで340円。
一般的にニカラグア料理は決して美味いものではありませんが、しかし、極端に不味いというわけでもありません。しかし、ここで食べたのは極めて不味かった!営業妨害になるといけませんので、店の名前は出しませんが。
さて、セバコに行ったのは街を見るだけが目的ではありませんでした。上記に書いたように、このセバコ盆地が先住民の時代からこの地域の中心的地域であったことの証拠を見るためです。それは次回にアップします。
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