昼顔さんの5/2の記事 を読ませていただきました。

「困難がなければ、乗り越える山がなければ、自分の心とは向き合えないっていうところが、ミソなわけで」


乗り越える山?

あ・・・。

学生の頃に大好きだった本のコトバを思い出しました。

勇気、希望、忍耐。


宮本輝さんの小説「春の夢」 からの一文です。

主人公の父親が、亡くなる1ヶ月前に学生である主人公(♂)に言った言葉。

以下、抜粋です。


「俺はこんな説教めいたことを言うのは好きやないけど、ちょっと気障な遺言やと思うて聞いといてくれ。
人間には、勇気はあるけど辛抱が足らんというやつがいてる。
希望だけで勇気のないやつがおる。
勇気も希望も誰にも負けんくらい持ってるくせに、すぐにあきらめてしまうやつもおる。
辛抱ばっかりで人生何も挑戦せんままに終わってしまうやつも多い。

勇気、希望、忍耐。
この三つを抱き続けたやつだけが、自分の山を登りきりよる。
どれ一つが欠けてもことは成就せんぞ。


俺は勇気も希望もあったけど、忍耐がなかった。

時を待つということが出きんかった。

この三つを兼ね備えている人間ほど怖いやつはおらん。

こういう人間は、たとえ乞食に成り果てても、病気で死にかけても、必ず這い上がってきよる。」


哲之は、父の言ったことは本当だと思った。

だがこの陳腐と言えば言える三つの言葉を己に課すことはなんと至難であろうか。


学生の頃、宮本輝さんにはまっていた時期があって、その中でもお気に入りの本の一つでした。

当時は、このコトバを自分のこれからの人生に当てはめて、よく考えていました。


「人生という山を登りきるためには、勇気、希望、忍耐が必要」


そんなことを(今となっては)「漠然と」考えていたのですが。

今日読ませていただいた昼顔さんのブログの5/2の記事 、はっとさせられました。

「乗り越える山、登りきりたい山」がまさしく今現れたのかと。


カラダの面でも、ココロの面でも。


小説の言葉とかって、読む人によって様々な捕らえ方があります。

自分に都合のよい解釈をしてしまいます。

それでも、私はかまわないと思います。


で、私はこう思いました。


自分の病気と向き合う勇気、自分の病気を受け入れる勇気。

必ず治してみせるという希望、病気に関わらず幸せになるという希望。

ゆっくりと時間をかけても、人と比べずに焦らないという忍耐。


発病してから8ヶ月。

発病したころは、「子供が産めなくなること」がショックでたまらなく。(今でもだけど。)

手術してからは、カラダが思うようにきかないことが辛くてたまらなく。

ハダカになった自分のカラダ(坊主頭とちょこんとしたストマ)を見て悲しくなり。

普通に生活できるようになれば、マーカーが下がらず自分の体に残っている播種が気になり。

調べれれば調べるほど自分の進行度合いが気になって。

私の体、どうなるのだろうか?

私の人生、どうなるのだろうか?

・・・。


悩みはつきませんが、、

あ!

今書きながら気付きました。(マジで)

今なんとなく書いたこと、確かに三つの言葉でclearになるかもしれません。


這い上がります!


Special Thanks; Hirugao-san