続きです。
2023年の11月、つまり今から半年前。
クソアメリカ人◯鹿女に無実の罪で貶められた、被害者の内の御一人である方のブログ記事。
丁寧な言葉使いで綴られていますが、文面に怒りが滲み出ています。
そしてその記事のコメント欄。◯鹿女は謝罪しているような態度ですが、内容は
大半が「関係無い話」。( ╹▽╹ )
取り繕っている、と言えばそうなのかもしれません。でも「私の気持ちはこうだったのです! 今の気持ちはこうなのです!」…って、話でしかない。
こんな時まで「私のキモチ! 私のキモチ!!」…な訳です。
謝罪の気持ちを表すのは必要な事です。しかしながら、本当に謝罪するならば
己のした事を詳細に書き、それを自ら認め、相手に謝罪の言葉を言う。
事前に求められているのでなければ、「動機」の説明はその後でするべき事でしょう。
ましてや「自分の気持ち」、しかも背景までなんて、それこそ二の次三の次ではないでしょうか。
このブログを見てくれた方々よ。
貴方なら(スクショとして添付した)この「コメント」を
「真摯な謝罪」と受け止めますか。それとも「自己弁護」だと見なしますか。
私は後者です。
クソアメリカ人◯鹿女は、去年の2月に自分のブログ上で『謝罪の表明』と題して記事を載せますが
…ポエム?( ╹▽╹ )
謝りたいの? 言い訳したいの? 何がしたいの? …ってカンジです。
それでも、これだけなら「頭悪いなりに謝ろうとはしている」と解釈出来るかもしれません。
しかしながら
その前日、◯鹿女は相手に(被害者2人に)こんな事(↓)を言い放ってる訳です。
前日にこんなコメント(↑)を、相手のブログのコメント欄で言い放ち
次の日には自分のブログで「謝罪というタイトルのポエム」。
このふざけたやり方、当事者からすれば腹わた煮えくり返るよ。
この振る舞いでは「自分のフォロワーの前で、自分を良く見せようとしているだけ」…相手にそう解釈されても仕方ないでしょう。
被害者2人が納得出来なかったのは当然です。
アメリカ人はいつも何処でも「自己主張」。
「謝罪」ですら「自己主張」。
相手への配慮を見せているようで、実は「私は相手にこんなに配慮しているんだ」という「自己主張」。
ホント、心の底からアメリカ人が嫌いになります。
本日は以上です。