遠い記憶・其の壱 不思議な記憶
子供の頃の思い出をたどると、
ひとつの、ぼんやりとした記憶がある。
私の家の前には、道を隔てて堀があり、
その土手には桜が植えられていた。
桜は見事な枝振りで、土手の上から水面に向かって
垂れ下がるように枝を伸ばしていた。
ぼんやりとした記憶というのは、
その桜の枝にロープがかけられ、足を縛られた男が
水面に顔だけつけて、逆さに吊るされている、と、いうものだ。
首が浸かった部分の水は、流れ出た血で赤く染まっていた。
水に浸かって白くふやけた男の皮膚も
思い出せるような気がする。
小学三年生のとき別の町に引っ越したので、
それより以前の出来事だろう。
こんなことがあったと、思い出したのは
実はかなり年月が経ってからだ。
だが、あらためてこの記憶をたどっていくと、不自然なことが多い。
田舎の町にしてはかなりの大事件なのだから
大勢の見物人がいてもいいはずなのだが、
思い出せるのは、私がポッンと一人でそれを見ている情景だ。
他にも不自然なこともあり、
考えれば考えるほどこの記憶が怪しくなってきた。
今から思えば、小さいとき大人から聞いた話が心の底に残っていて、
思い出すごとに自分が見た光景として、新しいディティールが付け加えられ、
それがまた新たな記憶となり、このような記憶が
形成されたのかもしれない。
今は、両親とも亡くなっていて、確かめることができない。
現在のお堀、土手からお堀に向かって桜が枝をのばしている、
お城の跡で、戦前は陸軍の連隊があった。