こんばんは

またまた桜ネタです


私の家の近くに「桜通り」という名の桜並木が続く散歩道があります。



このシーズンは、出店が出てバーベキューをしながらお花見する人達が大勢いらっしゃいます。

不思議なもので桜通りまで徒歩1分の私はめったにそこでお花見をすることはありません。


近いとかえってありがたみがわからないのでしょうね。



ところで

お花見といえば桜ですが、いつから桜の花見が始まったのでしょう?



----------------------------<凛花の勝手にお花見解説>--------------------------------


京が都だった平安時代、貴族達は酒や肴を携えて花を愛で歌を詠みました。

その花も今のように花見と言えば桜ではなく、梅や桃などであったのです。



ですが、どちらにしても庶民にはお花見など縁遠いものでした。

その花見というものを庶民が知り噂話にもなったのが、豊臣秀吉の「醍醐の花見」。



その醍醐の桜は、真言宗醍醐派の総本山醍醐寺に咲く桜で、秀吉は醍醐寺の三宝院の景観をことのほか愛し、春になるとこの地で観桜(かんおう)の宴を開きました。



この桜並木はその醍醐の花見のために秀吉が近隣諸国の近江、山城、河内、大和から取り寄せた桜700本を移植したのが始まりなのだそうです。



醍醐の花見で、もっと有名なのが1598年3月15日(旧暦)の宴。

北の政所(ねね)や淀殿(織田信長の妹お市のかたの子供茶々)、その子・幼い秀頼を引き連れて開いたもの。



その宴では、女房衆が秀吉の何番目の連れあいかと言うことで言い争いになり、「醍醐の花見の盃争い」と庶民の噂になるほどだったそうです。



秀吉はその盛大な宴のあと5ヶ月後8月18日に他界。

これが最後の花見となり、これを機に庶民の間にもお花見という文化が広がっていったと言われます

秀吉から日本人の桜好きが始まったと言っても過言ではないようですね。


<京都醍醐寺霊宝館のしだれ桜>凛花と魔法のランプ






















<京都醍醐寺三宝院のしだれ桜>

凛花と魔法のランプ


















この三宝院の「しだれ桜」は、秀吉の「醍醐の花見」の際に建立されたものの子孫で樹齢150年の古木で「土牛(とぎゅう)の桜」としても知られています。

(日本画壇の巨匠・奥村土牛が1972年に描いた作品「醍醐」にちなんで呼ばれており、醍醐寺に数多くある桜の中で唯一名前がついています。)



この「土牛の桜」が老朽化して枯死する危険があったため,醍醐寺が住友林業に依頼して育成した「クローン桜」も咲いているようです。



実は植物のクローン作りは、挿し木という方法で大昔から実施されています。

(クローンという名前自体が、小枝という意味)

植物は一片の枝されあれば、全体を再生できる。

挿し木はそういう性質を持っているからこその技術なのです。


けれど樹木も年をとると、挿し木が難しくなります。

また、他の桜に比べ、シダレ桜の組織培養は難しいと考えられてきました。

そこで、住友林業は「組織培養」という方法を使い、芽の先端を培養液の中で培養し、そこから苗を育てるのですが、その培養液に工夫を凝らして、クローン苗作りに成功しました。



遺伝子を解析した結果、土牛の桜とぴったりであることも確かめられたといいます。


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さてさて

いずれにしても、美しい花は美しい心を引き出してくれますね。


ありがとうございましたキスマーク



illustrated by AkihisaSawada