こんにちは。
魂響書占 たまゆらしょせん えりこです。
つづきです。
あの日の目覚めから
あまりにまとわりつくもので考えてみた。
「レモンごはん」
が象徴するモノってなんだろう…?
レモンの写真見ただけでも
反応しちゃうね スッパ!
今こうして
物や出来事として思い返してみても
まずは
強い刺激 衝撃
苦しかった
大変だった
苦手だった
嫌だった
と感じる
((>д<))と
ハッキリ言って どれも
心地良い経験や思い出ではありません。
だけど それらに対して
「では 経験しなければよかったか?」
というと そうも思わず
経験したことに後悔もありません。
…ここでふと 浮かんだのが
学生時代
ソフトボールの苦しい練習の後
部員みんなでよく食べた
レモンの砂糖漬け。
「スッパー!
でも 美味しい~((>д<))」
ヘトヘトに疲れた身体に染み渡った爽快感
レモンごはんも
今はどうもそんな風に思える。
あの頃のレモンごはんのような体験
苦手だった
嫌だった
苦しかった
大変だった
という部分は時間も経って
かなりそぎ落とされて
私の記憶の棚にまろやかにあるからだろうな。
レモンごはんのイメージを
リアルに思い浮かべて 一瞬
((>д<))とを
顔をしかめて再現し
刺激と強烈さばかり思い続けるのも簡単だけれど
レモンの砂糖漬けのように
最初の「スッパー((>д<)) 」から
じわじわと甘みを感じて
「美味しい~(*^▽^*)」
ってなったように
あの瞬間 あの時 あの一連のモノは
全部続いていて
私はただ目の前の一瞬一瞬に没頭して
その時間を染み渡るように過ごしていたんだなぁ
と思う。
結局のところ
私はどの経験の断片も一生懸命だった。
だから ((>д<))と の
どの記憶も文末は
「食べて こなして 良かった」
の言葉でしめくくられているもの。
達成感 充実感 だろうね (^o^)
つい 過去の回想や未来の想像をする時は
((>д<))と
のイメージが強烈で
その部分だけに
より強くクローズアップしてしまうけれど
(^o^)
コレもちゃんとあるんだよね。
とても小さかったり
わずかで かすかだったりして
かすんで 忘れてしまいがちだけど。
記憶をたどって
ふわわんとしていた私に
レモンごはんのイメージがね
なにやら 話しかけてきた。
「イヤや嫌いをちゃんと思えないと
好きも見えないし 感じないんだよ。
逆も同じなんだけど。
で また面白いのが
この「嫌」と「好」はひとつなんだよね。
現在(いま)にいる時は
このどちらかひとつの点しか見えないのさ。
というか 同化してる。
だけど 今 君がしたみたいに
現在から過去を眺めたり
役員決めの時のように
ある1点から未来を想像したり
その1点からグーンと離れると
人間ていうのは
「イヤだ~」 とか
「よかった~」 とか
どっちかに偏りたくなっちゃうものなんだね。
だって どっちか
決まってる方が安心するでしょ?
君みたいに白黒ハッキリさせたい派は特にね。
『「嫌」と「好」は
かけ離れた両極端の両方であり
それでいて一体なんだよ』
なんて言われてもねー
よくわかんないしねー
そりゃ不安定だもんね。
だけど 残念ながらそういうものなのさ。」
「え? で? だから? つまり?」
よく理解出来てない私の問いへの
レモンごはんの答えは
「自分で決めていいよ」
とだけ。
レモンごはんのイメージから受け取ったのは
ここまでです。
なんだか 今まで
「嫌」と「好」の別々の記憶の棚に
キチンと分類し整理しておいた
数々の経験のファイルが
ごちゃごちゃに混ぜられたような…
そんな感じ。
レモンごはんも”食べ物”としてみると
「ウギャーーー!!!((>д<))」と
「嫌」系だけど
”話相手(!?)” としてみると
「面白いじゃん(^o^)
と「好」系になってるし。
どんなものでも
どうイメージするか
どう対するかは
自分で自由にその時々決めていい
ってことかな。
ここまで書いて思ったのは
「わたし ちゃんと”嫌い” ”イヤ”って思ってなかったかも」
「ちゃんと”好き”も言ってなかったかも」
「だから 思って言って伝えたつもりで届いてなかったかも」
ということ。
”嫌い”とか ”イヤ”とか
言っちゃいけないと思ってたな
”好き”も心から言ったこと
どれだけあっただろう
遠慮や謙遜 空気を読んで
伝えるのをやめていたかも
祈るとか 信じるとかいう
念の力も大きいけれど
言葉がわかる人間なんだから
声や文字やなんらかの形で
伝えること 届けることが大切なんだろうな
そう伝えたいし 届けたいんだ!
なんて思ったら
この日が母の誕生日だったことを思い出し
バースデー残りあと3時間
というところで電話してみた。
ただひと言
「おめでとう」
って伝えただけなんだけど
母 えらくはしゃいで喜んでたな。
電話して よかった。
思えば いい子 いい人 いい〇〇をやってた頃
抑えていることも気づかなかった「イヤ」や「ヤダ」
そうだ この間 モロ母にぶつけてたわ。
それでも まったくもって響かない母に
またもやイラついてもいて( ̄□ ̄)
「嫌」も「好」も両方あって
どっちかだけにしなくてよくて
途中で変えちゃってもよくて
伝えたくて 伝わらなくても
思いが混ざってても 矛盾してても
自分でその時 思ったようにして
やっぱりそれでいいのかも
「自分で決めればいいんだ」
「自由に決めていいんだよ」
ということを伝えてくれたんだね。
レモンごはんがしゃべる
などという
自分でも在りえない様なイメージで
自由に感じるまま 書いて動いてみましたが
そんな着地点となりました。
なんだかとりとめもなくアバウトで
まとまってない気がするけれど
レモンごはんくんのイメージも
(男の子みたい^^)
書くのも面白楽しかったので
もうそれで 良し としよ
長~くて ミョーで ヘンな話
おつき合いくださり ありがとうございました
~ レモンごはん おしまい ~
偶然の一致に意識を向けましょう
同じ言葉や情報を何度も見聞きする時
それはあなたを導くサインです
何を感じるか
何に気づかせようとしているのか
意識してみましょう
行動できることならば ぜひ行動を!
さらなる豊かな流れに乗りましょう
また 白黒 正誤 善悪など
相反するものを調和の目で見る機会でもあります
どちらかに偏らず
その出来事を見てみましょう
43 You Are Only Responsible For You
責任 境界線 冷静に見る
○○が悪いとか ××のせいとか
言うこともできますね
でも あなたは自分で決められる人です
自分で決めて 最後まで責任を持ちましょう
また逆に「これは私の問題ではないな」と思うのなら
しっかり境界線を引き
踏み出さないようにしましょう
あなたがあえて手を出さないことで
あの人の自己責任力を発揮させることもありますよ