習近平は曲者、日本はもっと警戒すべきだ。 | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 はじめに、
 三宅久之先生のご逝去をいたみ、謹んでお悔やみ申し上げます。

 歯に衣着せぬ政治評論家で左巻き田嶋陽子氏とのバトルは見ているものをスカットさせたものです。昨年から息継ぎが苦しそうにされ、引退されたのですが、安倍総裁の応援団長として是非とも安倍氏の総理に返り咲き、日本の威信を世界に発する日を見届けたかったろうと推察されますが、残念です。

 ここからが本文です。

 テレビで連日CHINAの新指導者のお話が流されています。

 習近平氏が若い頃、田舎で洞窟のような場所に住んでいた、苦労したと盛んにエピソードを流していますが、ちょっと要注意だと思います。

 というのは、日本では苦労人=人間の痛みがわかる人=庶民の味方=庶民のために活躍する人=偉人という図式が一般的です。
 
 苦労が人間を作るということで、立志伝の人は、小さい頃や若い頃に苦労をしてそこから這い上がってきて偉くなるというパターンが日本人は大好きです。

 でも、CHINAと日本では風土が違うことを勘案しなければなりません。

 ここからは日本とCHINAの文化的な相違を踏まえた私の想像です。というのも、韓国の李明博が大統領になった時に、ほとんどのマスコミが小さい頃に日本に住んでいて親日家だと思い込んでいました。唯一友人の呉善花(オソンファ)先生だけが『彼は親日家ではない』と警鐘を鳴らしていました。

 「日本に住んでいた人は皆日本が好きなはずだ」と日本人は勝手に思い込んだのですが、小学生時代の日本人の友人が大統領就任のお祝いに行った時に彼は懐かしさいっぱいで声をかけたところ、李明博は「あんたは俺をいじめた、ぜったいに許さない」というような言葉を返したそうです。

 このことから、日本人の感じる「苦労」に対しての感情と、「許し」の範囲は大きく違うと感じました。その意味でもう一度習近平氏を見るべきだと思っています。

 習氏のお父さんが文化大革命という毛沢東の権力にしがつくという晩節を汚す私欲の闘争に敗れ、田舎に流されました。党の幹部の子供として教育を受け、生活も他の民衆のレベルよりもはるかに上の暮らしをしていました。

 でも、父親の失脚により現地の人と同じ待遇に置かれた青少年時代を送る羽目になりました。それは、本人にとって屈辱以外の何者でもなかったでしょう。自分をこのような境遇に追い込んだ人間に対しての復讐を心に誓ったと思います。それは、自分自身のためだけでなく、自分の一族の恨みを晴らすためです。

 それが最大の先祖供養であり、それをしない人はどんなに偉くなっても一族から尊敬されないと聞いています。

 いにしえの春秋時代の楚の国の伍子胥は、父を処刑した平王に復讐するために呉の国の臣となり、孫子で有名な孫武とともに、祖国に攻め入り、平王に仕返しをしようとします。でも、すでに平王は亡くなっていたため、その墓を暴き、300回も鞭打ったという故事があります。ここから「死屍に鞭打つ」ということわざの語源になるほどです。

 孔子の説いた道徳心は、人々の心が荒んでいたために必要だったのでしょうが、当時から相手にされていませんでした。特に共産党政府になってからは現代版焚書坑儒にあっています。その孔子の教えが一番残り、根付いているのが日本だということを日本の人達、特に儒教研究者が知らないために、現在のCHINAに全く根拠のないあこがれを持っていることが、日中関係の基本的な齟齬につながっていると思っています。

 昔の親の家に全く他人が入り込んでいるにもかかわらず、親の親類と勘違いしているのです。私たちの先人の学んだCHINAにはまったくその頃の人たちは残っていません。

 でも、「恨み」や「復讐」の気持ちは古来より連綿と残っているのです。

 話しを元に戻します。習近平氏は表情をあまり変えません。いつも硬い表情をしています。演説も一本調子で得意な方ではないと思います。つまり、感情の起伏を抑えた青年期を過ごし、過酷な権力闘争を生き抜いてきた人なのだといえるでしょう。

 感情を表に出していれば、すぐに政敵に付け込まれ、以前のように洞窟のような場所で生活をしなければならなくなるからです。だから、自分の考えを表に出さずに、顔色ひとつ変えずに重大な決断を出来る人のではないでしょうか。

 こんな人に善人なんかいません。善人ならいまごろ最高権力者の座には付いていないと思います。

 習近平氏に太刀打ちできるのは、同じような顔をしている小沢一郎くらいでしょう。でも、彼は自分のことを人民解放軍の野戦司令官というくらいですから、その上の最高権力者(皇帝)には全く逆らえないため、彼が日本の政界で失脚したことは日本のためになることでしょう。

 人の良い安倍氏がこのつかみどころのない習氏と渡り合うためには、きちんとその前提情報を入力してことに当たることが必要となるでしょう。外務省のチャイナスクール出身の官僚ではなく、論語の素養があり、現代のCHINAの情勢に精通している宮崎正弘先生などを外交顧問につけて対処して欲しいものです。

 とにかく、一筋縄ではいかない人物が隣国の指導者になったのですから、日本も早く挙国一致の政治体制を構築しなければなりません。そのためには、今度の選挙の重要性は国運が決まる選挙と言っても過言ではないでしょう。