2011.4.25珠帆印inねとらじ

『私たちにとっての東日本大震災』特集 第4



■パーソナリティ 

高須賀薫さん(光のコーチ)

たまちゃんが出張中でスカイプを使用できない環境であるため、ピンチヒッターでパーソナリティを務めます。



■ゲスト

そめやゆきさん、三好みどりさん




ヘッドフォンメモ放送内容の概要メモヘッドフォン




 震災当時と直後の状況 ※




(三好みどりさん)


地震時は地下鉄に乗っていた。

聞きなれないブザーが鳴った後に激しい揺れがあった。

みんなが一斉に地下鉄構内から地上へ出た。

会社へ戻ったほうが近いし安心なので帰社した。

その瞬間は、地下鉄の構内でのできごとだっただけに、死ぬかもしれない、誰も知らない人の中で死ぬよりは会社で知っている人のもとで死んだほうがいい。その後はやっぱり家族のもとで死ぬのがいいと思った。


会社から40km離れている自宅へと帰宅しようとしたが、歩いては帰られない距離なので呆然としていたが、上司がレンタカーを借りていてたまたま自分を拾って乗せてくれた。

都内は人や車で溢れかえっていた。

通常だと15分くらいで移動できるところが2時間もかかってしまうくらいに渋滞していた。

最終的に自宅に着くまでに6時間程度もかかってしまった。

道を歩く人は誰も何かを恨む様子でもなく、ただひたすら歩いていた。

大変な状況ではあるが、無事にいて再開することができたという感じで普段より幸せそうにしている人もいた。

移動中は車でラジオを聞いていたが、被災者数や避難所数が増えていくのを知り震災の規模が大きいことを知った。

夜中の3時半くらいに自宅に着いた。


後日、電車に乗って帰った人の話によると、アナウンスで「地震の影響で運行が遅れまして誠に申し訳ございません。」と流れていたそうだ。

こんな大変な事態なのにこんなに早く電車の運行を再開できるのはすごいことだよ、申し訳なくない!と思ったらしい。

こんなときにでさえもお詫びするなんて、侍魂を感じた。


共感しやすいので会社に戻ってから情報を収集しないようにしていた。

インターネットのサイトやツイッターなどで活字による情報収集にとどめていた。

ニュースで津波の映像や被災状況を目にしたら、あまりの悲惨さに泣き出したり、吐いたりしていた。


携帯は通じないけど、ツイッターは通じたという経過があったので家族で互いにフォロアーになった。





(そめやゆきさん)


横浜の一軒屋を借りてアートの展示会を開催していた。

2階でお茶を入れていて、とりあえず非常口を確認した。

揺れはあったが、まわりの人の誰も慌てないくらいの程度だった。

インターネットを見られる環境だったのでニュースを閲覧したが、全国の状況をさほどつかめず、通常とおりにイベントを継続した。


その夜にインターネットでニュースや被災の動画とかを閲覧したが、自分では特に何かをできるわけではないので、それ以上は追わなかった。

家族6人で夕食をとるために中華街へ繰り出したが、ガスが止まっていたのでどこの店もやっていなかった。ファミレスに行ったら通常とおりに営業していた。

コンビニへ行っても通常とおりに営業していた。

コンビニにいるときに、ガスなどが止まっているため炊き出しをしているところがあるという情報を知っていたので、その個所を紙に書いて貼っておけば役に立つのではと思った。


自分だけ平和な状況なのは申し訳なく感じてきた。


その後、ツイッターで情報をまわそうと試みた。

福島原発が爆発したことを知ったのはツイッター経由で地震翌日だった。



【 後編へ続く 】


後編の記事へとリンクします。

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