エリート?「吸血鬼エリート」なら知っている。 | 零細企業の闘魂日記
【SEALDsの限界 「少数エリート」の声では大衆には響かない 田中俊英氏】
http://www.sankei.com/premium/news/160715/prm1607150007-n1.html
『「打倒安倍政権」を旗印に結成された学生団体「SEALDs(シールズ)」の熱狂とは何だったのか。野党共闘に一定の影響力を示し、政治の舞台で存在感を発揮したことは間違いない。ただ、参院選は与党(自民・公明党)の圧勝に終わり、シールズは解散する。彼らの活動が「限界」に終わった理由を読み解く。』
 
『恐らく、シールズとは現代の「エリートな若者」の一部を象徴する人々のことだ。それは「学年人口」「意識高い系」「ミドルクラス」という3要素でくくられるのではないだろうか。』
 
私は、多分、もう「SEALDs」に利用価値がなくなったからだと思う。それは構成メンバーにとっても、操る悪い大人にとってもである。
 
若者が政治に関心を持ったことやその行動力にはいくらか評価できる部分もあるが、いかんせん、考えが幼稚すぎたこと、人としての品性が欠けていたことから、結局、多くの支持が得られなかったように感じる。
 
またこれは私が認識不足で分からないのが、たとえば創設者のひとり、奥田愛基が明治学院大学から、現在は一橋大学大学院に進学していることである。
 
理系(実験系)の私が大学院を受験したときは、本当に寝る間もなかった。
徹夜続きの卒業研究と併行して受験勉強をしなければならず、とてもじゃないが、デモだの、集会だのと、そんな時間はまったくなかった。
 
今、振り返っても大学院進学はけっして甘くはなかったと断言できる。
だから、4年生の頃、大学院生と言えば単なる先輩ではなく、「自分はあのようになれるのだろうか?」と畏怖するほどの存在感があった。
 
彼は、あれだけメディアに引っ張りだこで、デモ活動に街頭演説を行い、世にはばかりながら、いつ、他大学の大学院に進学できるような学力をつけ、受験勉強をやってのけたのだろうか?
SEALDsのことを「少数エリート」などとは考えてみたこともなかったが、私にとってこれだけは謎である。