正月にLINEで新年挨拶した友人と飲んできました。
そいつとは年に一二回、やり取りがあれば良いところなんだけど、珍しく向こうから「たまには飲もうか?」と返事が来たので、飲むことになりました。
高校の頃はよく学校で絡んでたやつで、二十歳前後の頃もちょくちょく連絡はとってたけど、あんまり一緒に遊んだと言う感じでもない。
でも、会えばいろんな話で盛り上がる。
気心の知れた良い友人。
そんな友人が27か28位のときにぷらぷらしていたので、当時私が在籍していた会社に誘った。
そのころはサークルみたいな乗りの居心地の良い職場だったな。
結局そいつが入社した後、私は色々あって、そいつを残してその会社は辞めたんだけど、そいつはその後20年その会社を支えてくれた。
たぶんこいつをその会社に誘ったのが、私の会社への一番の貢献だったと思っているくらい、友人はその会社に必要な人材になってくれた。
まあ、面倒を押し付けて、私は会社を逃げたようなもんだけど。
その友人とも会社を辞めてからは、疎遠になっていたな。
四年くらい前に実際に会うまで、20年近く会ってなかった。
そして、四年前に会った後、また、全く会うことなく昨日の再会。
普段大人の人と殆ど口を利いていないから、ちゃんと話ができるかな?と不安を抱きながら、待ち合わせの場所にいくと、友人がいた。
不思議だね。
昨日別れた人と会うような感じで普通に話ができる。
自然と二十数年前に話題は遡り、そこからお互いのこれまでにあったことを追いかけていくと、それまでの空白の時間が埋まっていく。
嗚呼心地よい時間だ。
普段着友人と言うものと接することもなく、この20年生きてきて、それなりに気ままに楽しくやってきていたけど、やっぱり友人と言うものも良いなと感じる。
そうやって楽しく話している中で、友人がポロリと大腸がん現在のに引っ掛かって、ちゃんと検査すると言った。
嗚呼そう言うことか。
若い頃には私から誘っても、いつもいそがしそうにしていて、飲みに行くことも殆どなかった奴が誘ってきたのは。
癌ができてもおかしくない年になったんだな。
そろそろ人生も終わりを意識する年になったんだな。
何度か友人は「お前のお陰で良い人生だったよ」と口にしたけど、少しは私は奴の役に立ってたのかな?
正直言って私は人に迷惑ばかりかけて、懲りずに気ままに生きてきたから、よく分からない。
でも、時々そんな言葉をかけられて、こんな私でも生きてきても良かったのかな?と思ってしまう。
うつがあったり、発達障害があったり、社会からずれた考えでまともな会社員もできずにドロップアウトして生きてきたけど、数少ない友達にそう言われたら、今まで生きてきたことに、後から少しだけ許可を与えられるような気もする。
あっという間に居酒屋で五時間が経っていた。
もう終電の時間。
次はいつ会うのだろう。
分からないが、反対方向の電車に乗る友人に笑顔で手を振った。
私も友人みたいに誰かにあなたのお陰で良い人生だったと言うことがあるのかな。
しんどいけど面白くは生きてきたよ。
あと、もう少し生きたら終わりでも良いかな?
やり残したことはそんなにはない。
次の朝、友人が勧めてくれた、ぼっちざろっくと言うアニメを見た。
子どもが撮りだめしていた。
なるほどな、そこにはうちの塾にたまに入会してきては、楽しそうに自分の世界を語る奴らと同じ匂いのキャラクターがいた。
こういう子達の居場所であるのが、私の楽しみなんだな。
たぶん、奴は私の好みをよく知っているのだろうな。
それが友人と言うことなんだろう。
ちょと蛇足だけど。