ES細胞における自己複製の基底状態 | 再生医療が描く未来 -iPS細胞とES細胞-

ES細胞における自己複製の基底状態

2008年5月、ケンブリッジ大学のAustin Smithらのグループにより、ES細胞の未分化性維持に関する非常に画期的な論文が発表されました。

これまでの何十年もの間の「教科書的な」理解では、マウスES細胞の未分化性維持にはLIFおよび血清もしくはBMPの添加によるLIF/STAT3シグナリングおよびBMP/Smad/Idシグナリングの活性化が重要であるということが定説でしたが、この論文により、それらのシグナリングの上流に位置する「真の」未分化性基底状態を維持するための方法を開発したというものです。

ちなみに、Austin SmithはES細胞業界の大御所で、LIF/STAT3シグナリングおよびBMP/Smad/Idシグナリングの仕事も彼の成果であり、日本を含めた世界中に優秀な研究者を輩出しており、ES細胞の未分化性維持機構の研究に関して、他のグループを圧倒していると言っても過言ではありません。


Nature. 2008 May 22;453(7194):519-23.
The ground state of embryonic stem cell self-renewal.
Ying QL, Wray J, Nichols J, Batlle-Morera L, Doble B, Woodgett J, Cohen P, Smith A.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18497825?ordinalpos=4&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum


Smithらは以前、

Development. 2007 Aug;134(16):2895-902.
FGF stimulation of the Erk1/2 signalling cascade triggers transition of pluripotent embryonic stem cells from self-renewal to lineage commitment.
Kunath T, Saba-El-Leil MK, Almousailleakh M, Wray J, Meloche S, Smith A.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17660198?ordinalpos=3&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum

の論文において、ES細胞の最初の分化には、FGF4の自己分泌によるMAPK(ERK1/2)経路の刺激が関わっていることを示しています。

しかし、LIFおよび血清/BMPはともにERKの活性化を阻害するものではないため、LIFおよび血清/BMPシグナルはERKの下流で働くものであろうと考えました。

そこで、FGF受容体チロシンキナーゼの阻害剤であるSU5402とERK経路の阻害剤であるPD184352の二つの小分子化合物を用い、この仮説を検証しました。

まず、これら二つの阻害剤はどちらも、LIFと組み合わせることにより、血清/BMPなしでもES細胞を安定的に培養できるが、LIFがないと徐々に変性していってしまうことが分かりました。

そこで、化合物の副作用を減らすために、それぞれの量を減らし、代わりに二つを同時に用いたところ(PS)、これらの化合物だけでES細胞を未分化のまま(時々神経系への分化が見られるものの)複数回継代できるようになることを見出しました。

しかし、この条件下では、アポトーシスが比較的高率で起こり、低濃度での培養が難しいということも分かったので、GSK3阻害剤であるBIOを添加し、ES細胞の増殖を促進しようと試みましたが、その特異性の低さゆえか、さらに生存性が悪くなってしまいました。

そこで、より特異的なGSK3阻害剤であるCHIR99021の効果を検証してみたところ、低濃度だと、生存性は促進するが神経系以外の分化を促進してしまうこと、高濃度だと、いくつかのコロニーは形態的に未分化性を保つが、徐々に分化が進んでしまうことが分かりました。

しかし、SU5402とPD184352とCHIR99021の三つの阻害剤(3i)を全て用いると、PSの分化阻害効果が優勢となり、未分化状態を維持したまま効率的に増殖できるようになることが分かりました。

さらに、3iを添加している場合、Chemically definedのN2B27培地から抗酸化剤・フリーラジカル捕捉剤を含むB27を除いても、低酸素条件下では培養可能であること、インスリンを除いても未分化性を維持し続けること、血清由来のコンタミを除くためにリコンビナントのアルブミンを用いても問題ないことも示し、3iの未分化性維持に対する十分性を検証しています。

また、3iを用いると、129系統のマウスからだけではなく、ES細胞を樹立するのが難しいCBA系統のマウスからもES細胞を樹立でき、そのES細胞が高率にキメラに寄与でき、ジャームライントランスミッションすることも示しました。


次に、FGFシグナリングのブロックがSU5402の決定的な標的であることを確かめるために、SU5402の代わりにPD173074を用いたところ、1/40の濃度で代用できることを示しました。

また、FGF4欠損ES細胞がCHIR99021のみで増殖できるようになることも示しています。

FGF4は、PKBおよびRas-MEK-ERK経路を活性化するのですが、PD184352やSU5402はPKBのリン酸化には影響を与えず、ERKのリン酸化を抑制することが分かったことから、ERK経路がES細胞の分化において中心的な役割を果たしているのだろうということを確かめるために、より効果的で特異性もあるMEK阻害剤であるPD0325901を使ってみました。

すると、PD0325901とCHIR99021の二つの阻害剤(2i)だけで、ES細胞の未分化性を保てることが分かりました。

また、ERKのリン酸化阻害の副作用として、c-Mycが抑制されるということが分かったのですが、c-Mycの発現上昇を誘導するはずのLIFやGSK3阻害剤を添加している3i培地やPS+LIF培地でも、c-Mycは抑制されたままであったことから、c-Mycの活性化はES細胞の増殖に必須ではないことも分かりました。
従来のモデルでは、LIFによるSTAT3シグナリングの活性化がES細胞の自己複製に重要であると考えられていましたが、3iの条件下では、STAT3の活性化およびその標的であるSOCS3の発現誘導が見られなかったことから、STAT3がES細胞の自己複製に関係ないと考え、それを示すために、3i条件下ではStat3欠損マウスからES細胞を樹立できることも示しています。

また、CHIR99021は、β-cateninのリン酸化阻害およびTCFの活性化を介してWntシグナリングを刺激していることが分かったので、WntがCHIR99021の代わりとなり得るかを調べたところ、Wnt3aによって似たような効果が得られたものの、3iには及ばないことが分かりました。

一方、ドミナントネガティブΔNhLef1を発現させ、TCFの活性化を阻害したES細胞においても、3iの条件下では未分化性を維持できることが分かったことから、TCF活性化の阻害はES細胞の自己複製の邪魔をしないことも分かりました。


次に、CHIR99021の効果がGSK3の阻害を介したものであることを確認するために、GSK3αとGSK3βのダブルノックアウト(DKO)細胞を用いました。

DKO細胞は、CHIR99021のみを処理したES細胞のように、徐々に神経系以外への分化を示しましたが、PSもしくはPD0325901の添加により未分化性を維持できるようになりました。

この際、細胞増殖が3i条件下で培養したES細胞よりも遅かったのですが、LIFを添加することにより回復したことから、LIFは、GSK3阻害と関係なくSTAT3経路を活性化していることが分かりました。

また、Nanogを強制発現させたES細胞は、N2B27培地でも自己複製できるが、LIF存在下であっても低濃度では増殖しづらいことが分かっており、PS条件下でも少数の小さなコロニーしか形成しないのに対し、3i条件下では未分化コロニーが多数形成されることから、CHIR99021の効果はNanogの発現誘導を介したものではないことが分かりました。

さらに、高濃度のPD035901処理によりリン酸化ERKを完全に除外し、ERKシグナリングを遮断しても、CHIR99021の添加により生存性が回復でき、未分化性を維持したまま増殖できることも示しました。



このように、成長因子やサイトカインの添加がなくても、分化を端から抑制することで未分化性を維持できるということから、分化シグナルさえ遮断していれば、ES細胞は本質的に自分自身を保つ基底状態の細胞であるという考えが提唱されたのです。


抽象的で分かりにくいかもしれませんが、普通の細胞は、順序だった複数の外部シグナリングの刺激の果てにやっと作り出され、その外部シグナリングにより維持される細胞、ES細胞は、一定数の転写因子によって全てが規定され(エピジェネティックな特徴は後からついて来る)、外部シグナリングを必要としない細胞といったところでしょうか。

幹細胞の維持に通常必要なニッチを必要としないと言ってもいいのかな。



続いて、同グループにより、上記の論文に出てくる2i(PD0325901とCHIR99021)をiPS細胞樹立に応用した論文が発表されました。


PLoS Biol. 2008 Oct 21;6(10):e253. [Epub ahead of print]
Promotion of Reprogramming to Ground State Pluripotency by Signal Inhibition.
Silva J, Barrandon O, Nichols J, Kawaguchi J, Theunissen TW, Smith A.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18942890?ordinalpos=4&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum


シグナル阻害によるiPS細胞樹立法の改善 」に詳細を書いていますので是非ご覧下さい。



同年12月には、またまた同グループ(ケンブリッジ大学のAustin Smithら、南カルフォルニア大学のQi-Long Yingら、YingはSmithラボ出身で3iの論文のファーストオーサー)により、今までジャームライントランスミッションするような「真の」ES細胞が樹立できなかったラットから、3iを応用することでES細胞の樹立に成功したという論文が発表されました。


Cell. 2008 Dec 26;135(7):1287-98.
Capture of authentic embryonic stem cells from rat blastocysts.
Buehr M, Meek S, Blair K, Yang J, Ure J, Silva J, McLay R, Hall J, Ying QL, Smith A.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19109897?ordinalpos=20&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum

Cell. 2008 Dec 26;135(7):1299-310.
Germline competent embryonic stem cells derived from rat blastocysts.
Li P, Tong C, Mehrian-Shai R, Jia L, Wu N, Yan Y, Maxson RE, Schulze EN, Song H, Hsieh CL, Pera MF, Ying QL.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/19109898?ordinalpos=19&itool=EntrezSystem2.PEntrez.Pubmed.Pubmed_ResultsPanel.Pubmed_DefaultReportPanel.Pubmed_RVDocSum
Smithらはまず、3iおよびLIF(マトリックス結合型LIFを発現しているDIA-Mというフィーダーを使用した)存在下で、E4.5のラット胚盤胞由来のICMを培養すると、4日経ってもOct4およびNanogの発現が見られることを示し、3日間3iの存在下で培養した細胞を継代しても、未分化細胞様のコロニー形態とOct4, Nanogの発現を維持したまま増殖できることを示しました。

Dark Agouti(DA)とFischer 344の二つの近交系ラットから20ラインの細胞株が得られ、これらの細胞株は3iで培養しているマウスES細胞のようなタイトに凝集した塊として増殖し、単一細胞にまで乖離しても継代可能であることが示されました。

また、Rex-1, Errβ, Sox2, Eras, Stella, Fgf4が発現していること、3iを除くと維持できないこと、LIFでレスキューできないこと、EpiSCsの培養条件下(ActivinとbFGF)では分化してしまうこと、EpiSCsの分化を誘導するがマウスES細胞には影響しないactivin受容体阻害剤であるSB431452で処理しても影響を与えないこと、X染色体の再活性化が起こっていることが示されました。

また、テラトーマ形成およびキメラ形成により三胚葉分化能を持つことが示され、キメラ中の始原生殖細胞(PGC)に寄与していることも確認されましたが、GFPで標識したDAラインをalbino Fischerの胚にインジェクションするとキメラが生まれるが成体にまで至ることはなく、GFP標識なしのラインでも、Fischer→DAだとキメラ寄与なし、DA→Fischerだとキメラが生まれ成体まで成長するものの、ジャームライントランスミッションしませんでした。

原因を詳しく調べたところ、調べたライン全てにおいて性染色体型がXXであり、キメラは雄であったためにうまく精原細胞に分化できなかったと考えられる、また、9番染色体のトリソミーも見られ、これらの性別の偏りや染色体異常は3iの影響ではないかと考えました。


そこで、FGFR阻害剤であるSU5402の非特異性が原因であるかもしれないと考え、PD0325901とCHIR99021の二つの阻害剤(2i)を用いてみました。

2i存在下でDIA-Mフィーダー上にまいたラットICMは、3iで処理した場合と同様の形態を示して増殖し、細胞株を樹立でき、その中にはY染色体を持つものも多く含まれており、核型も正常であることが示されました。

DA→Fischerキメラを作製したところ、すべて成体にまで成長しましたが、これらのDAラインはすべて雌型であり、雌キメラを交配させてもジャームライントランスミッションは確認できませんでした。

一方、albino Sprague-Dawley由来SD2系統のラットから雄のラインを樹立し、DA胚盤胞にインジェクションしたところ、健康な雄キメラを得ることができ、ジャームライントランスミッションできることが確認されました。


次に、2iで樹立した細胞株の特性を調べたところ、ノンコーティングもしくはゼラチンコートディッシュには接着できないが、ファイブロネクチンもしくはラミニンコートディッシュには接着し、また、ファイブロネクチンの場合、はがれ易いが、ラミニンの場合は、2i+LIFで容易に維持でき、この際、扁平なコロニー形態を示すことが分かりました。

また、マウスES細胞のようにSSEA-1を発現していること、半分以上がS期にあること、多数の未分化マーカー遺伝子が発現していること、2iを除くと分化していまうこと、LIFを除くと低濃度では増殖しにくいこと、LIFの標的遺伝子であるEgr1とSOCS3のうち、2iはEgr1を抑制するがSOCS3には影響を与えないこと、血清フリーで神経系への自発的分化が可能なこと、エレクトロポーレーションにより0.05%の効率で遺伝子導入できることが示されました。


Yingらは、E4.5のDAラット胚を3i存在下で5-7日培養し、MEFフィーダー上に移すと(MEF/3i)、未分化の形態を維持したまま弱く接着して増殖できるようになることを見出し、細胞株を樹立して、アルカリフォスファターゼ(AP), Oct4, Nanog, Sox2の発現を確認し、トリプシンで単一細胞に乖離しても継代できること、Sprague Dawley(SD)系統、Fischer 344(F344)系統のラットからも同様に細胞株を樹立できること、グローバルな遺伝子発現がマウスES細胞と類似していることを示しました。

また、SSEA-1を発現しているのに対し、SSEA-4, Tra-1-60の発現が見られなかったことから、ヒトES細胞よりもマウスES細胞に類似していること、Hoxa5, Irx3, Maf, Hoxa9, Dlx1, Pax9においてH3K4とH3K27のメチル化が両方見られること(Bivalent domain、うち2つは線維芽細胞でもBivalentだったが)、Oct4とNanogのプロモーター領域が脱メチル化を受けていることが示されました。


次に、多能性を検証するために胚様体の形成を行ったのですが、常法通りだと細胞が死んでしまったので、3iを分化誘導後2日間、半分の濃度で加える、フィーダー細胞のコンディションメディウムを用いるという改良を加えると、三胚葉に由来する胚様体を形成できることが分かりました。

またDAラットES細胞をF344の胚盤胞にインジェクションすると、雌雄両方のキメラが得られ、雌はジャームライントランスミッションすることが確認されました。

しかし、DA→SDだと、キメラは生まれるものの、ジャームライントランスミッションが確認できなかったことから、マウスES細胞と同様、ホスト胚とドナーES細胞の遺伝的背景がジャームライントランスミッションに重要であることが示唆されました。


次に、樹立したラットES細胞は、インテグリンの多くの発現が低いもしくは発現していない一方、integrin α7とintegrin α6が高発現していることが分かったので、弱くしか接着できないMEFよりも適したフィーダー細胞があるのではと考え、20以上の異なった細胞株について調べたところ、C3H/An成体雄マウスの皮下結合組織由来の細胞株であるL細胞が未分化なラットES細胞の効率的な接着培養を可能にすることを見出しました。

また、3iの代わりにPD0325901とCHIR99021の二つの阻害剤(2i)と組み合わせることで(L cell/2i)、大きなコロニーを形成した後でも剥がれることなく、未分化な形態を維持し続け、長期間に渡って多能性マーカーを発現し続けることを示しました。

また、この培養条件下において、nucleofectionによる遺伝子導入にも成功しました。


最後に、樹立したラットES細胞におけるLIF/STAT3経路の役割を調べています。

LIFはラットES細胞においてもSTAT3のリン酸化を誘導し、SOCS3の発現を誘導すること、ラミニンコート上に移したラットES細胞は急速に分化するが、LIF存在下ではd7でも10%-20%の細胞が未分化のまま(さらに継代すると分化する)だったことから、LIFはラットES細胞の自己複製にポジティブな影響を与えることが示唆されました。

また、血清やBMP4はポジティブな影響がなく、特に血清を用いると、3iもしくは2i存在下でも、急速な細胞死や分化を引き起こしてしまうことも分かりました。

129系統以外のマウスES細胞は、LIF存在下であってもフィーダーフリーだとアポトーシスや分化を起こすが、STAT3を強制発現させることでレスキューできることを独自に見出していた彼らは、ラットES細胞においてSTAT3を強制発現させると、L cell/LIFコンディションでも分化することなく維持できるが、LIFを除くと細胞死・分化を起こすこと、ラミニンコート上でもLIF存在下では5回の継代までは維持できることも示し、ラットES細胞の自己複製においても、マウスES細胞と同様、LIF/STAT3シグナリングが重要である一方、長期培養にはフィーダー細胞由来のなんらかの因子が必要であることも示しています。



これらの報告により、3iもしくは2iがマウス以外の動物におけるES細胞樹立にも有効であることが示唆され、今までノックアウトができなかった動物種においても、ノックアウトやノックインができる可能性が開かれた(そもそも無理かもしれないと思いかけていた中、希望の光が降り注いだって感じかな)のです。

もちろん、上記のラットES細胞の論文を見てもらえば分かりますが、これらの阻害剤だけでは不十分な点もあり、今後の研究の進展が期待される分野と言えます。