僕が最初に聴いた彼らの楽曲は「茜色の約束」だった。携帯電話のCMソングに使われていて、すごく気になってアルバムを手に入れた。以来、すっかり「いきものファン」になってしまった。これから少し、彼らについて僕が感じることや考えさせられる事を書いていこうと思う。


まず惹きつけられたのは、ボーカルである吉岡聖恵の声だった。伸びがあって、力強くて、それでいてやさしく語りかける親しみのある声だ。この声はいい。どこまでも高く、遠くまで届きそうでいて、それなのにまるで隣りにいるかのような近さと温かみをおぼえる。この心地よさは、そう、体温に似たぬくもりをもった声なのだ。これを勝手に吉岡ボイスと名づける。


こういう声の歌い手がいたろうかと考えてみた。

例えば宇多田ヒカルの声は美しいと思う。けれども近さは感じなくて、上質で、気品を湛えたゴージャスなイメージ。ゴージャスな感じは、一時期ファンを魅了した鬼束ちひろとか時代がかなり違うが「赤い鳥」「ハイファイセット」と活躍した山本潤子(現在はソロでがんばってらっしゃる)あたりを想起する。

近頃活躍するアーティストで、AIとかJUJUなんかはまた異質な声で、ハスキーセクシー系の歌い手。

昭和の時代に活躍した歌手はたいがいミルキーボイスが席巻していたと思う。松田聖子がその代表。中森明菜はデビュー当時はミルキー系の声だったが、歌唱力が増して歌姫へと成長していく過程でゴージャス系へと脱皮した。それも濃密なゴージャスへと。

吉岡ボイスに似た歌手としては、例えばELTの持田とか元ジュディマリのユキあたりだろうか。ちょっとまとめてみよう。


ゴージャス系

宇多田ヒカル、鬼束ちひろ、山本潤子・・・

ハスキーセクシー系

AI、JUJU、最近スタジオが火事になったというUA・・・

あったか親しみ系

いきもの吉岡、ELT持田、ユキ・・・


近々ママさん歌手として復帰するらしい矢井田瞳は親しみのある声だが、ややハスキーが入ってて関西弁を使うせいもあって一気に下町化する。中島美嘉もハスキーセクシーしていて親しみはない。あとは浜崎あゆみのようなたくましボーカル系があるが、あまり魅力を感じない。

あったか親しみ系として持田を挙げたが、彼女は基本的にへたくそ。聴いていてつらい。ユキも親しみを感じるけれども、昭和のミルキーまじり。そこが支持されたのかもしれない。僕自身ジュディマリは好きなバンドだった。


ごちゃごちゃと書いたが、要するに僕は吉岡ボイスが好きなのだ。

美しさはなく、女性としての色気も薄いこの声にどうして惹かれるのかをもう少し考えてみると、おそらくそれは懐かしさやわかりやすさに行き着くのだと思う。必ずしも学校であるとか学生だとかを特定しないまでも、彼らの楽曲には高校生活を匂わせる内容のものが多い。彼らの年齢からして当然なのだが、そこに吉岡の「温かく近い声」が見事にはまる。何故なら、高校生活や青春のその時期というものは誰にでもあって、悩み苦しんだり将来への不安を思ったりという経験が聴くものの胸に必ずよみがえる。美しくない吉岡の声は、どちらかというと学級委員長の号令(全員!起立!礼!みたいな)的な活発さと隣の机に座るクラスメイトの気安さを感じさせるのだ。

聴くものを瞬時に「あの頃」に立ち返らせ、クラスに必ずいた元気な女の子の「聞き覚えのある声」を重ねる。懐かしく、温かく、心地よい。


「いきものがかり」というバンド名が示すように、彼らの楽曲には生きとし生けるものをひとしなみに愛する思いが溢れている。そういう事がわかる年齢というのは、やはり小学生では無理で、中学生なら理解しているが受身に過ぎない。高校生以上になれば、考え方も感じ方も大人と変わらず、ただしこわいものなしに加えて漠然とした将来不安を抱えているからたちが悪い。理解した上で反発したり無視したり逆にないがしろにし出すのだ。そこにドラマが生まれる。本当はわかっているのに素直になれない態度が自分の中にいつのまにか現れ始める。そのような、人としての成長過程ど真ん中を背景に吉岡ボイスが炸裂する。だから彼らの楽曲はより普遍性を持ち、そして胸を打つ。


次回は別の角度からまた考える予定です。


さざんカルビ-吉岡聖恵

そこらへんにあるあったかリアル 2. 3本の矢