代表不縁の男たち~1キャップでも元代表~ | picture of player

代表不縁の男たち~1キャップでも元代表~

えー、どうもあけましておめでとうございます。
年末年始はみなさま楽しく過ごしたでしょうか?
俺は「笑ってはいけない」を見ながら酒を飲んでるうちにいつの間にか年越しをし、翌日は二日酔い、そして3日から仕事というプレミア並のスケジュールによって、今年も全く希望のなさそうな予感。プレミアム社畜です。
さて、まあ誰も俺の年末年始などにはやくみつるの植毛よりも興味がないと思いますので、サッカーの話をしたい・・・のだが、いかんせんJリーグの全日程が終わってしまっていた。
「ら」移籍話で盛り上がるのもいいのだが、まだ不確定状況が多すぎる・・・ここで動くのは愚の骨頂っ・・・くるわけねえだろ、デルピエロなんてっ・・・!というわけで今動くのは非常に危険。

なので、日本代表の話でもしようかと。
ただ、今の3-4-3だか4-2-3-1だか4-6-4-9哀愁だかは哀愁漂う孤軍奮闘を続ける杉山御大にお任せするして、昔の話をしようかと思う。
でもただの思い出話をしても仕方ないので、日本代表で少ないキャップ数の選手を取り上げてみようと思う。しかも、1キャップ。1キャップですよ、1キャップ。1カップといえば大関ですね。あれ、10秒チャージできるんだよ。

さて、参考にしたのはこちらのWiki
取り上げた選手のほかにも、あまりにも想像を絶するラインナップで、餅を喉に詰まらせた挙句、子供を真夏の車内に放置してパチンコをしながらユッケを食べるという死亡フラグが立ちまくるくらい面白かったので、是非紹介したい。読みたくないと言っても、是非紹介したい。読め。見ろ。シャワー浴びてこいよ。
題して「代表不縁の男たち~1キャップでも元代表~」、それではいってみましょう。


■下田崇
■GK
え?1試合だけ?という印象。けっこうトルシエ時代に長い間代表に呼ばれていたのだが、楢崎、川口という両変態が伸び盛りという時期でもあり、の牙城を崩すのはかなり困難だった。出場はブラジルとの親善試合。2-0の敗戦でございました。そのせいというわけでもないのだけど、以降、困ったときにはぽつぽつと呼ばれるも、試合出場はなし。クラブは広島一筋でナイスなセービングをたびたび見せていた。垂れ目で超かわいい顔をしているのが印象的。現在は広島GKコーチだそうな。


■神田勝夫
■DF
一体、誰が間違えたんだ・・・と思ったら、加茂さんでした。じゃあ、しょうがない。現役時代はセレッソ、横浜マリノスで活躍。左サイドバックとして特にうまいわけでもなかったが、スタミナがあった。wikiには強烈な左足のシュートとあったが、全く印象にない。代表に選ばれたのはセレッソ時代だったが、それも印象にない。というか、この人ってば顔が強烈すぎて、それ覚えてばっかりだ。ハイパー眉毛で顔でかいというなんか押し出しの強いビジュアルだった。ワイルド系として、長友の先駆者・・・なのだろうか。現在は新潟の強化部長やってるって全然知らなかった。


■安藤正裕
■DF
右のスペシャリスト。清水時代に台頭した印象だったが、代表に選ばれたのは磐田時代。清水で活躍していたが、市川の台頭によって追い出される形で移籍したので、不思議な選出だったことを覚えている。あー、コパアメリカのときの代表かー、これ。市川とは違ってドリブルであまり運べる選手ではなかったが、サイドバックらしい堅実でいい選手だった。磐田時代以降めっきり調子を崩してしまって、流浪の選手生活を送ったことが悔やまれる。ていうか、ガンバにいたことなんか一つも覚えてないんだが・・・。顔としてはやたらと眉毛が太かったことを覚えているが、なんか俺そんなことしか覚えてないんかいな。うっちーには微塵もDNAが引き継がれておりませぬが、酒井地獄には多少受け継がれている。


■菊地直哉
■DF
うっかり道を踏み外してしまったという特殊なケース。アンダー世代から順調にキャリアを積み上げ、オリンピック代表にまでなったが、女子高生に手を出してしまうというまさかの落とし穴。真相がそれほど明らかになってない現在でも(たぶん口外しないという示談の条件なんだろうね)、名前を聞くだけで全身から血を吹き出すほど嫌う人もいる。代表に選ばれたのも2009年若手中心のイエメン戦でそーっと様子を見ながら、という感じで、それ以来音沙汰なし。。ただ、ボランチもできるくらいの繋げる足元と知性を感じる卒のないディフェンスは、中々得がたい才能。まあ、今なら外国人の監督だからそんなに気にすることもないし、ザックジャパンとの相性もよさそうなので、是非一度試してもらいたい。もう、いいだろ。


■海本慶治
■DF
トルシエ時代になぜか呼ばれ、なぜか使われた。典型的なハンマータイプのセンターバックで前に出て潰すのは強烈だったが、それ以外はほとんどなんもできんという鬼のシングルタスク。唯一出場したアジアカップ2000では退場しているというすばらしく荒い選手。なんかその試合覚えてるんだけど、「あー、やっちゃった」じゃなくて「あー、やっぱりな」という感想を持った気がする。ちなみに弟の幸治郎もJリーガーで、サイドをすさまじい馬力で持ち上がる選手だったが、それしかなかったというシングルタスク兄弟。血は争えない。弟のほうは代表暦なし。


■上野良治
■MF
元天才。横浜の色白なプリンス。この人もなぜかトルシエに呼ばれた。ハッサン2世杯で出場。元トップ下のテクニックを生かして横浜では華麗なゲームメイクをしていたが、代表選出時には27歳とトルシエジャパンの中では年齢が高かったこともあって定着できなかった。プレースタイル的にも何しろ走らないし、トルシエプレッシングサッカーとの相性はよくなかったのだろう。クラブでは、岡田監督の下で黄金時代を謳歌した。冷静なプレースタイル、何考えてんだかよくわかんない顔、まったく似合っていないロン毛、イマイチに合わないトリコロールなど注目すべき点が多かった。2002年になぜかジーコも招集しているが出場はなし。なんで呼んだのかよくわからん。いやあ、でもほんとうまかったよ、この選手。めぐり合わせ。


■佐藤勇人
■MF
オシムチルドレンとして代表に呼ばれたが、出場は1試合のみ。なんか親善試合でシュート撃ってた。「トレーニング用」と代表では揶揄されることもあったが、豊富な運動量とゴール前の顔出しはピカ一で、もうちょっと使われてもよかったのかなあ、と。ただ、総合力は高いのだが、ゲームを作れるわけではなし、かと言ってサイズがあって潰せるわけでもなし、というわけでやはりオシム特化選手だったということなのか。ボックスtoボックスをできる数少ない選手だったわけだが、所属チームのごたごたに巻き込まれた印象。ただ、まだ弟の寿人とともに現役なので、代表史上初の兄弟同時出場を狙っていって欲しい。そのときには、是非高木三兄弟も誘って、フルハウスを狙っていって欲しい。


■増田忠俊
■MF
一瞬だけ閃光のような輝きを見せた選手。フランスW杯出場が決まった後、それまでの中盤ダイヤモンドの頂点のレギュラーは北澤だったが、がっかりトラップとがっかりパスを繰り返して岡ちゃんの不安を無駄に煽っていた。代役として試したのがJでキレキレだった増田。試された代表の試合でもドリブルを中心に活躍をして期待を抱かせたのだが、その後すぐに十字靭帯を怪我。ワールドカップには間に合わなかった。3バックへの変更もあったからどうなったかわからなかったが、あの時怪我をしなかったらワールドカップはどうなっていたのだろうと思うくらい、当時はすさまじいキレ味だった。印象としてはこの前のワールドカップ前の石川と似ている。怪我以後、あのキレが見れなくなったのは残念だが、柏時代の老獪なプレーも味があってよかった。


■二川孝広
■MF
大阪の王様も、オシムジャパンの出場1試合きり。シビアだったガーナ戦で、なぜかそのとき10番をつけて途中出場。しかし、その後はシカトされる。アイデア溢れるパス、高水準のテクニックとスペックの高い能力を備えながらも、歴代監督からはほぼ無視され続けた。少し上に中村初号機という絶対的な10番がいたことも災いしたか。王様は並び立たないということで、よりチャンスメイク能力に長けていた初号機を監督が選んだのも無理はない。まあ、ジーコ時代だったら平気で並べた上に、さらに小野をボランチで使いそうな気はするが。ともかく無口だというのも不気味だったのかもしれない。そして、今wikiを見たら、好きな芸能人が綾瀬はるかだという衝撃の事実を確認。意外と巨乳好きだという安堵感とともに得体の知れない気味の悪さが入り混じった不思議な感覚を味わっている。こんな新年、いかがですか。


■吉原宏太
■FW
まさかのキャップ数1。歴代FWの中でも際立つうまさだったが、フィジカルとサイズがないことが災いしたか。出場は南米選手権のパラグアイ戦のみ。パラグアイのセンターバックにお子ちゃま扱いされていたことを覚えてるぜ。代表に選ばれるべき時期に、クラブでは大黒、アラウージョ、ファルナンジーニョという鬼たちがいたことで出場機会が少なかったので、代表監督の目に留まらなかったという不運さもあった。現在は水戸で鈴木師匠と魅惑の熟年2トップを形成。いやー、まだ全然いけるね。うまい。あと、童顔の甘いマスクが売りで、こういうタイプの顔は年取ると悲惨なことになるのだが、そういうこともないので、どうでしょう適齢期の女性の方々は水戸のスタジアムに足を運んでみては。給料、安いけど(500万円)。


■森山泰行
■FW
代表に選ばれた記憶がまったくない。加茂ジャパンの予選前にキリンカップで出場した模様。ミスタースーパーサブとして名古屋で君臨し、ピクシーに合わせるのが最もうまいFWだったかもしれない。ただ、いくら得点を重ねても、さすがに代表に専用スーパーサブを置くということは非常に勇気がいる上に、代表にピクシーがいないという難点もあった。あと加茂さんは森保と間違えてた可能性がある。98年ワールドカップ後にはクロアチアのヒット・ゴリツァなどチームを転々とするが、2001年には名古屋に戻ってきて再び二桁得点で意地を見せた。その後は岐阜のJ加盟に多大な貢献をしたり、最近ではS級ライセンスをとった模様。なんというか、背も小さいし、驚くほどうまいわけでもないのだが、とにかくボックス内で点をとることにかけては歴代屈指という、形容しがたい得点能力を持っていた。あと、ヒット・ゴリツァというチーム名は「うわー、ゴリっぽいからぴったり!」と当時の俺が思ったことはナイショだ。


次点。

■山田隆裕
■MF
ファルカンさんに呼ばれちゃった人。クラブでは横浜で得意のドリブルでサイドをずたずたにしていたが、なぜか代表には縁がない。というか、辞退したりとか、本人があんまり好きじゃなかったみたい、代表。1試合親善試合に出ただけで、代表キャリアは終わり。その後、遊びすぎたのか、自分もトップフォームを維持できなくなり、その後は音沙汰なし。仙台で岩本とファルカンチルドレンズを組んだときはちょっと面白かった。引退後のメロンパンのほうが最近では有名になりつつあり、現在も実業家である。なんかよくわかんないけど、この人ってすごく読売の選手ってイメージ。日産なんだけどね。古き良きJリーガーの匂いがっ!


フォーメーションにするとこんな感じか。

    森山 吉原

    増田 二川

    佐藤 上野

神田 海本 菊地 安藤

      下田


控え 山田

非常にDFライン(特に左サイドのコンビ)が不安だが、中盤以降は中々の面子。けっこう強いのでは。
しかし、選手生命が短いスポーツは悲喜こもごもが多いですな。代表が二つあったらいいのに!!