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これまで何度となく性について書いてきました。
完全に女性として生きたいのに生きられない。
ままならない身体がある。
男女混在の私の身体。
そんな宙ぶらりんな私が女性としてと書くことで随分非難され、
女性の敵とまで言われました。
悪あがきなのは分かってるんです。
女性になりたいのなら、さっさと適合手術を受けろ。
それをしないということは、女性になりたいなんて嘘なんじゃないか?
手術をしないのなら、いさぎよく戸籍上の性別を受け入れろ。
その二択を迫られたり。そんな簡単なものではないのに…
圧倒的にマジョリティが多いわけで、世間一般の男、女の感覚で
みんな生きてる訳なので、あまり書けば不愉快に思う方も
いらっしゃるでしょう。
基本、私はあまり性の生々しい話とか、ましてや猥談に興じる人を
軽蔑してきたし、、、だけど、つまるところ、やっぱりなかなか
人に話せない生々しい部分が突きつけられるわけです。
さらけ出すのは恥をさらすみたいでつらいのですが、
自分の身体がまるで他人の身体がとりついてるような、
何とも言いようのないものすごい違和感の中で生きてる、
そして、一般的に性は、生まれながらの性、そして、
男性は女性を好きになり、女性は男性を好きになる。
異性に関心を持つようになる、
そこにLGBTの入り込む余地はない。
その苦しさでいっそ死んでしまいたいとさえ思うほど
悶絶するなかで、それならいっそ、友人をもし失ったとしても、
気持ち悪い奴だとなじられたとしても、
やはりありのままを語りたいと思ったのです。
これまでさらけ出したつもりでいました。でもどこかで、
そこまで書くか、えげつないよね、
とふたをしてきたのかもしれません。
女性になりたいだなんてきれいとかかわいいとか
ちやほやされたいだけだと批判されたこともありました。
そうじゃないと生々しく葛藤を書けば、
デリカシーがないとかどっちにしろ批判を受けるわけです。

そしてもう一つ思ったのは、性教育が、真の性教育になっていない
かもしれない、生まれながらの性別で語られる性のなかで
LGBTが埋没されてるのではないか、性教育は男女ありきでなく、
多様な性も包含しなければ。
そんな思いもあるわけです。
長くなりますし、不快に思われる方もいらっしゃるでしょう。
ご了承のうえ、お読みいただければ幸いです。
だけどね、その生々しい性をぬきに命は語れないのよね、本当は。
なので、ありのまま書くのをお許しください。


性をすごく嫌悪し、おこちゃまと言われそうですが、
コウノトリが運んできた、と思いたくなる自分がいます。
保健体育で性についてちゃんと習いました。
男性には精子があり、女性には卵子があり、
性行為によって受精すること。
衝撃が強すぎた。信じたくなかった。
女性の身体に男性が興奮して性器が大きくなり、
女性の身体に挿入して射精する。
受精というにはあまりにいやらしさがぬぐえなかった。
エッチな話で盛り上がる男子を横目に、いやらしさしかなかった。
そんないやらしいことをして自分は生まれてきたのか。

自分の身体のことを書けば、どこが女性だ、普通に男じゃないか、
ふざけるな!と言われそうで怖い。
だけどね、こんなにも女性として生きたいのに、
男性の身体を抱えている以上、逃げられない。

本当は男性として生きたい女性が、毎月やってくる月経に、
『女』をつきつけられ、絶望的になるのと同じように、
どんなに女性として生きたくても、生殖器が男性であれば、
いやでも、性機能は男性。
子供産みたい側なのに、生殖機能は男性。
さらに厄介なことに、女性の生理の場合は、
生理痛がひどかったりして、生理がきつい、いやだ、と言うと、
いやだよね、きついよね、となるが、
男性機能がきつい、と言ったことろで、いや、生理みたいに
痛みないでしょ?むしろ気持ちいいんでしょ?
性欲に結び付けられて、いわゆる「男は出したいだけ」。
だから避妊したがらないとか、
性欲に任せて性犯罪とか、望まれない妊娠とか、
確かに男性の性欲の犠牲になるのは女性。
だから、男性の身体のどこが苦痛か?
むしろ苦しめられてるのは女性だ、
君のどこが苦しいのか?
男に女性の生理の苦しみとか分かるか、
生理痛の苦しさも知らない君の口から
女性を語ってもらいたくないわ!
そんな批判を受けてきた。
こんな体、捨てられるものならとっくに捨てたい。
自分の身体を憎んだ。そこまで言われるなら、
このにっくき身体、
捨てるには、もう死ぬしかない、そこまで思いつめた。

適合手術も、ホルモン療法も簡単に踏み切れるものではない。
適合手術は魔法ではない。ここに書くのも躊躇するほど
グロテスクでもあるし、金銭的、そして身体的にも負担は大きく、
望み通りの身体になれる保障もない。ホルモンも、
副作用に悩まされ、生活に支障をきたす場合もある。
意気地なしと言われればそれまでだけど、
ただでさえパニック発作などを抱える自分の身体にさらに
リスクを自ら課すのか。
適合手術やホルモン投与は、女性として生きたい気持ちが
本気かを試すテストでもなんでもない。
踏み切れない人を責めることは決してできないし、
しちゃいけない。

その矛盾を誰より感じて葛藤して悶絶してるのは
ほかならぬ本人なんです。

私はパーツ的には子宮はないですし、
どっちの生殖器かと言われれば男性です。
だけど、母は私の幼少期から異変を感じていました。
一応パーツ的にはそうだけど、あまりに生殖器が未熟だ、と。
女性としても生きられないけど、
男性としても生きられないんじゃないか。
なかなか人に言いづらいですが、
私が性別違和を感じるところのもしかしたら
根本原因かもしれません。
思春期に入っても、私は、むしろ男子と話す方が
異性という感じだったし、その頃から私は
「女子」だったのかもしれません。
それよりなにより、いじめ、ひきこもり、
自殺未遂の方が大きな壁だった。

友達を失ったり、人間不信に陥る中で、
大人になって社会に出る中で、
性別が避けて通れなくなり、
次第に限界を感じる場面が増えていった。
ズボンが履けなくなり、男子トイレに行けなくなり、
男性ものの服や肌着を買うことができなくなり、
その売り場を通るだけでも息苦しくなり…

生理がない人間に生理のつらさが分かってたまるか、
そう批判されたけど、私は言いたかった。
この身体捨てたい、いっそ死んでしまいたいと思うほど
自分の身体を憎み、完全に女性の身体で生きたいと思ってる
人間が、女性なら誰もが経験する生理を経験できないで
それで女性ですと言うことにどれほどの罪悪感を感じているか。
それで私は、生理用品のテレビCMを目にすると、
目のやり場に困るとかそんなレベルではない、
ごめんなさい、こんな体でごめんなさいと
自分を責めたてるのです。

だけど、これまで書いたように、布ナプキンの普及に
努めてる活動をアースデイ東京で知り、感動したけど、
その思いを口にして、女性の敵と批判されました。
この時もまた自分の身体を呪いました。
だけど、それから1カ月もしないうちに、偶然入ったカフェで
かかっていたラジオに、福岡で布ナプキンの活動を
されてる方が出ておられ、コンタクトをとることができ、
その方が私の演奏会に来て下さったんです。
布ナプキンがつないだ縁です。
そして、自分の身体で経験できないのにそこまで
共感してくれること、感動してくれることが嬉しい、
と言って下さったのです。
私はむしろ、本来なら自分の身体で布ナプキンの
良さを実感したいけど、それができない、
歯がゆくてたまらない、だから、こう言ってはなんだけど、
体感できない私の分までよさを実感してほしい、
託すような気持なわけです。
全世界の女性を敵に回したとまで非難されたので、
私が布ナプキンの感動を忘れていたら、
もしかしたらこの出会いはなかったかもしれない。

どんなに子供を産みたいと思っても、女性の身体を望んでも、
私にあるのは男性の身体。それでいて、女性ホルモンも作用し、
胸に違和感を覚え、ブラトップなどを買いに走るわけです。
自分の身体から、女性としての信号と、男性としての信号が
発せられ、自分は男性、女性どっちなんだろう、心底女性として
生きたいのは間違いないのに…
よく、男性女性両方経験できてお得じゃないの、
といわれることがあるけど、それは男性としての自分を
認められていたらの話しです。


性と向き合っているので、街中で「大人の性教育」と書かれた
マガジンを手に取りました。
そこに書かれていたのは、いわゆる世間一般の性なので、
やり切れなさで思わずため息…。
性についてオープンに語ることがはばかられるけど、
ちゃんと向き合おうって、世間一般の性がそんなだったら、
LGBTの入り込む余地はないじゃないの。
学校で学ぶ性は、月経や妊娠など、生殖にまつわる性だけど、
でもセックスは快楽を求めてする方が圧倒的に多いはず!
と書かれてたけど、大多数はまあそうでしょうけど、
男性女性両方の身体を抱え、女性として生きたいのに
生きられない苦しさ、私の性別って?と言う私にとって
おとしどころがないのです。
人はなぜそもそもセックスしたい生き物なのか?
もうその前提で書かれてるけど、
だから、自分の性別もわからないのに、
セックスもへったくれもないもんだ.。

私の心は100%女性でできています。
意識が完全に女性な以上、私にとって異性は男性なんです。
ここがものすごいずれなんです。
私は張りぼての身体と言ってますが、
生殖器としてはにっくき男性の身体。
だから公衆浴場は男湯に行く方が波風は立ちません。
むしろ、女湯に行くと、きゃー!ということになるでしょう。
だけど、性自認が女性で、自分にとって異性が男性な以上、
女性として他人の男性の裸なんて見たくもありません。
もし普通に女性が女湯に行こうとして、
そっちじゃないでしょって男湯に連れてかれたらどうでしょう。
心理的にはそういう感じなんです。
だけど、パーツ的に女湯には行けない。
だけど男湯には死んでも行けない。
男は皆女性の裸が好きだから女湯にもし行けたら
女性の裸が見られていいねと言われたことがありました。
このときほどはらわたが煮えくりかえる思いが
したことはありません。
完全なる女性の身体ではないけど、ものすごく女性として
侮辱された思いがしました。
もうその考えが私を男として見てるでしょ、
もう腹が立って腹が立って、
でも私は怒りが悲しいになるので、
もうこのきもちのぶつけようがなく、結局、
ままならない自分の身体を責める、
自分に刃を向けるわけです。
ですから、女装して盗撮やわいせつ行為に走る人ほど
許せないものはありません。
ほんの一握りの犯罪者のために、性別違和を抱える人、
色々社会生活を考え、休日に女装することでなんとか
折り合いをつけている人までもが犯罪者扱いされ、
アダルトビデオなどの影響か、
同性愛=やらしい、変態、性倒錯、
そんな目でみられるわけです。

あ、でもね、街中歩いてて、きれいな脚の女性とか、
つい見ちゃいますが、男性として生きてた頃の方が
見向きもしませんでした。
女性としてあんなにきれいな脚だったらとか、
胸があればとか、完全に女性目線ですね…笑。
ないものねだりというやつです笑。
でも、コーディネートで少しは近づけることはできる、
はず(笑)

理屈に通らないと言われるでしょうが、
わたしにとっては身体も女性なんです。
排卵こそないけど心身のバイオリズムがあるし、
友人の勧めで基礎体温を測れば変化するし、
胸も気にしなきゃいけないし。
なのに、男性の身体もあるわけです。
私は何か異常生物なんじゃないかと思うくらいです。

摘出手術をしない限りは男性の身体と
付き合わなければいけません。
いっそおこちゃまの身体だったらよかったのに。
性機能なんていらない。気持ちの上では、
生理なんていらないというのと同じなんです。
ただの悪あがきか、絶望的な気持ちになります。
子供を産みたい側なのに、私は男性として
女性とセックスできる身体なのか、
妊娠させる側なのか、本当は妊娠したい側なのに。
世の中には不妊に悩む方も多い。
生物学的には女性だから、女性として生まれた以上、
子供を産むことを周囲からも期待され、だけど不妊に悩む。
それにひきかえ、私は性機能が男性なら、
自然に我が子を持つことができるかもしれないのに
それに抗うことは不妊に悩む人に失礼なのか、
そんなことまで思いつめたりして、
だけどね、男性の身体=性欲の塊と思われてる節もあるけど、
こんな体捨てたくてたまらないのに、身体がある以上、
性機能はどんなに生理を望んでも子宮がないし、男性の機能、
望んでもないのに精子がつくられる。多くの男性は性機能を
快楽としてとらえてるかもしれないし、
だから何かと欲情して制御できずに犯罪に走る
けだものだっている。だからだろうか、思いっきり道端で、
「あんた、女か?男か?本当は男か?なんで女になりたいんか?
男はいいぞ。エッチしたことないんか?だからじゃないのか?
女とエッチしたいと思うのが健全なのに、ないんか?」
と一方的に大声でしゃべりかけられた。
周囲の目が一斉に私に。
何の辱めかと思うくらいだった。
あまりの苦しさに気が狂いそうだった。
悪いと思いながらますます男性嫌悪になった。
なんで男ってこんなにやらしいのか、
そもそも性すら嫌悪感が強くなった。

あんなに赤ちゃんは可愛いのに、子供が欲しいと願ったら、
翌朝、枕元に赤ちゃんが、ってなればいいのに、
なんでセックスなんてものが、と、
けがらわしいとさえ思うようになることも。
そして、そう思う自分を結局責める。命の営みなのに、
なんて私はひどい人間だ、と。

ありのままに書くとえげつないし、そこまでさらすかとも思うし、
男性の身体を突きつけられ、自分が女性として生きる事が絶望的に
思えてくるけど、でもね、もういっそ死んでしまいたいと思うくらいに
苦しむくらいなら、もうすべてさらけ出そうと思ったんです。
不愉快な思いをさせたらごめんなさい。
でもこれが私の葛藤している、嘘いつわりのない姿です。
そしてそれと同時に、性教育とか、性を考えるという時に、
生殖のための性、快楽としての性だけでなく、
そもそも性が分からない、
男性の身体はこうですよ、女性の身体はこうですよ、
男の子はこう育てなさい、女の子はこう育てなさいに
当てはまらない、
それこそリアルに生殖器が男性と女性両方という方も
いらっしゃるのです。
身体の性、性自認、好きになる性が男性、女性、両方、
単純に組み合わせただけで27はあるのです。
それを単純に男性、女性、性別は二つしかない、
男性は女性に、女性は男性に関心を持つようになり、
性的感情を持ち、セックスがあって子孫繁栄、
そんな単純なものではない、
男女に友情は成立するか?27も性別があったらどうよ?
修学旅行の部屋割で男女分けられて、
男女の部屋の行き来は禁止とした
ところで、性自認が女性なら、
男部屋は自分以外皆異性になるわけです。
もし性自認が男性だったとしても、好きになる性が男性なら、
自分以外、皆、性的指向対象になるわけです。

ざっとわけただけでも27はある性別を
単純に二つで分けるのがいかに無理があるか。
単に月経のこととか避妊のこととかだけではない、
かといってセックスしたいと思うのは当たり前とか、
快楽としての性だけではない、
そもそも私の性別が不明などLGBTのことも含めた性を伝えたい、
思春期の子供たち、そして親御さんには特に、
性別は男、女だけとは限らないということを伝えたいと思います。

最近手にした人権ハンドブックにはこう書かれていました。
世の中には男と女しかいない?
男性(女性)の特徴のある身体を持ち、
社会において男性(女性)らしい行動をし、
女性(男性)に関心を持つ、それだけが正常で、
そこから外れるものは異常だと考えられてきた。
しかし、それ以外を排除してしまう考え方はこのパターンに
あてはまらない人々が人知れず苦しむ背景となっている。

性的少数者の存在を認めたつもりでも、こうに違いないと
勝手に決め付ける事が偏見。

そして・・・

世の中には自分の考えている通りの「男性」と「女性」しか
いないと信じ、それ以外の人々は、
自分の理解を超えているからと拒絶していませんか?

この投げかけは心から問いかけたいことで、
涙出そうなほど嬉しかった。

なかなか一般的には理解しづらいことでしょうから、
理解してほしいというより、知ってほしいのです。
そして知ることが排除しないことにつながるのです。
学校から、性別の話をするなと口止めされたこともありますが、
現実に、学校に通う子供たちにLGBTの問題は存在しているのです。
20人に1人。
決して小さい数字ではないと私は思っています。
あなたの隣に普通に存在しててもおかしくないのです。
分からないとおっしゃるなら、どうかわたしを活用して下さい。
経験をもとに、性別違和ってなんなのか、
お話させていただきたいと思っています。
私に、語らせて下さい。

ただ、ただ、自分に嘘をつくことなく生きていきたいだけなんです。

長々お付き合いありがとうございました。
また思いついたら書いていこうと思います。

最後に、、、バレンタインがもうすぐですが、
多様な愛の形を応援します、と、LUSHがLGBT支援宣言を
してくれてます。アミュ小倉店でメッセージを書かせていただき、
ステッカーを頂きました。まわし者みたいですが、ぜひ
通りがかったら、虹色のステッカーを手にして頂けたら嬉しいです。
北九州でLGBT支援のお店があることが嬉しい。