環境問題の杞憂/藤倉 良

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杞憂(きゆう)
《中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと
心配したという、「列子」天瑞の故事から》
心配する必要のないことをあれこれ心配すること。
取り越し苦労。「―に終わる」


典型七公害は受益圏と受苦圏が明確であり、
様々な公害病で、特定の化学物質が原因であるかどうかは
ともかく工場などとの関係がわりとはっきりしていた。
公害病と言う形で影響が可視化されていたので、
対策はしやすかったように思う。
とは言え、実際は政治や経済の問題があり、
紆余曲折したけれど・・・


でも、今の地球環境問題は受益/受苦が重複しているし、
その問題が起こっているかどうかも不確実だ。
ただ疑いがあり、対策を取る事によって
他の弊害が出ない限りは対策を進めた方が良い。
しかし、最も大きな弊害は経済問題である。

著者は典型七公害でさえ、
結局は経済の論理で解決していると言う。
すごくシンプルに言うと環境問題とは経済問題なのである。
ここまで言い切ると筆者から言い訳があると思うが・・・

いくら科学の言説を駆使しようとも
環境問題も社会的に構成されているのです。


うーん、私も筆者同様、環境問題が純粋に存在するとは
思っていないけれど、経済問題であると言い切るのは抵抗がある。
おそらく多くの人が関心を持つのは
経済よりも福祉だと思うので、
環境問題を一人ひとりの福祉の問題として
還元していく必要があると思う。

だから、専門家の言う環境問題を解決できるかは
個々の人々にとっての生きづらさの問題、関心のある問題の文脈に
環境の専門家にとっての環境問題を説得力のあるカタチで
埋め込んでいけるかなんだろうな。
そして、それは個々の人にこんな解釈もあると知らせることは
大切だろうけど、強制することではない。
「温室効果ガス6%削減!」は専門家の問題意識であって
いくら科学を装っても他の人にそれを押し付けるのは無理だ。
ではなくて個々の人の文脈に如何に自然に埋め込んで
いけるかだと思う。
例えば、子どもの通学路の交通事故リスクを減らすために
車の通行料を制限したい人がいたとして、
それは自分の関心領域である温暖化防止だと
自動車からの温室効果ガスの排出量を減らすな、とかね。


これは環境に関心のある選ばれし民である我々さえ理解していれば、
愚かな大衆が環境問題を理解していなくても
楽しいイベントに見せかけた環境保全活動に参加させれば
良いのだと言う考え方でもない。

他の人が個々の文脈で別の問題と見なしていることが
自分にとっては環境問題と考えるのが腑に落ちる
と言うことに過ぎないんだと考えよう。

最も私がこう思うことも私自身の独善でしかない。
そのことを自覚しつつも自分の信じた道を
歩むしかないのだけど・・・