心配していた真風フランツ、愛ちゃんルキーニが素晴らしかった。
二人とも歌とお芝居に課題ありだったけど大化けしてました。
愛ちゃんなんて歴代ルキーニでも上位に食い込みそうな好演。
真風もすごく丁寧な歌い方で真面目なフランツそのものでした。
主要キャストで心配だった二人が思いがけず好演なので、もう心配することないです。

せいこゾフィ、てんれいラウシャー、もんちヴィンデッシュ嬢も今までとは違うキャラのように思いました。
特にもんちは本来は男役であるためか力強いヴィンデッシュ嬢でした。

さすがコーラスの宙組。
ミルクのコーラスが素晴らしいです。
さらにカゲコーラスも素晴らしい。
こんなにカゲコーラスが重要で効果的なのかと再認識しました。
私が生で観た水トートの雪組以降では最高のエリザベートです。

個々の歌の印象も今までで全然違います。
音楽的な素養はないので、詳しくはわからないけど一人一人の歌い方が丁寧。
もともと歌に定評のある宙組なので、たぶん楽譜に忠実なんだろうなと。

歌だけでなく、演技もすごく丁寧です。
宝塚的様式美というかまーくんから下級生に至るまで決めるところがきっちりと決まっています。

最近のエリザベートがなんとなく昼メロ的で、マザコン皇帝と意地悪な姑に虐められる妻という感じで、深遠さがないと思っていたのですが、今回は丁寧に演じているためか昼メロ的な要素が後景化し、本来のテーマである「死が人を愛し、人が死を愛するとはどういうことなのか?」が前面に出てきたように思います。

さて、「死が人を愛し、人が死を愛すること」とはどういうことなんだろう?
トートはエリザベートに対して生きている間に死を愛してこちらに来いといい、
人生が嫌になって死のうとしたエリザベートに
「死は逃げ場ではない」
「まだ私を愛していない」
「生きているときに死を愛せよ」
という。

ということは従来の価値観や規範にとらわれず、
自分らしく自由に生きて、いつ死んでも悔いがない人生を送れということなのだろう。
そもそもトートは黄泉の国の帝王なので、
現世では経済的社会的にも地位や権威や権力を持っていない。
現在の常識では私を愛しろとは言えない存在なんだけど。。。
まるで私を愛しろと言っているようなものだ(笑)

トートはエリザベートを束縛から解放し、フランツと別れさせ、
自分らしく自由に生きさせるためにいろいろと策を練るが、
エリザベートがフランツと別れきれないことに業を煮やし、ルドルフを殺す。

自分らしく自由に生ききれなかったエリザベートの生涯は幸せだったとは言えない。
ラストは暗殺に見せかけて自ら死を選び、トートのもとにいく。
黄泉の国のイメージは地下なんだけど二人とも白装束で天に上がっていく。
現世では無理だったけど天で二人で自由に生きようということなのか?

しかし、結局「死は逃げ場となり」、「まだ私を愛しないまま」、「生きているときに死を愛せなかった」ように思うのだけど・・・

次回の観劇の際は、いつエリザベートが生きている間にトートを愛するようになったのか確認しよう!







アーネスト 英語圏における名前。正直で信頼できる者を意味している。

ジャックはウソのようなホントの話を誠実に話すが、信じてもらえない。
一方、何気にウソをつき、さして重要と思わなかったアーネストという偽名が信じられる。
グウェンドレンはアーネストという名前だからこそ愛したという。
ウソのようなホントの話がホントの話であることがわかった時、
実はジャックの本当の名前がアーネストであることがわかる。

あさこ、きりやん、たきさんの印象が強すぎて。。。
ミーマイも同じパターンなんだよね。。。
たその娘役を見られたのが唯一の収穫かな(笑)

(一幕)
イギリスの田舎に住むジャックは18歳の娘セシリの後見人。
ロンドンに住む友人アルジャノンの姪グウェンドレンが好き。
グウェンドレンに会うため、
アーネストという架空の弟がロンドンで問題を起こすと嘘をつき、
アルジャノンの屋敷に頻繁に通う。
なぜかジャックはグウェンドレンにはアーネストと名乗る。

あるとき、ジャックことアーネストはグウェンドレンにプロポーズ。
しかし、グウェンドレンの母親にウソのようなホントの話を信じてもらえず、結婚を許してくれない。
またグウェンドレンはジャックことアーネストがアーネストの名前であることが重要という。
そこで、ジャックは洗礼を受け、アーネストに改名することを計画する。

(二幕)
一転してジャックの田舎の屋敷。
ジャックはアーネストに改名するため、架空の弟アーネストが死んだとセシリに言う。
一方、アルジャノンはセシリに興味を持ち、アーネストと名乗り、ジャックの屋敷を訪ねる。
アルジャノンとセシリはお互い空想で恋人同士になっており、実際に会って恋に落ち、結婚を誓う。
しかし、セシリもアルジャノンことアーネストがアーネストであることが重要という。
ここでドタバタ劇があり、二人ともアーネストではないことがわかる。
ここから、急転直下、ジャックのウソのようなホントの話がホントの話であることがわかり、
そのプロセスで、本当の名前がアーネストであること、
弟アーネストのふりをしたアルジャノンもホントの弟であることがわかり、二つのカップルが結ばれる。
江戸から明治になり、幕末の騒乱がとりあえず治まる。
人殺しが日常だった時代から、多少は平和になった時代。
みんなそれぞれの過去を抱える。
過去を封印し、生きるもの。
過去を引きずり、生きるもの。
過去を捨て、新しい自分を生きるもの。
その中に理想を求め、純粋に生きる薫
ほほに傷、すなわち心に傷を持つ剣心が薫と出会い、
彼女の前ではうつけ者を演じながら、彼女を見守る。
でも、薫は剣心の実力に気づいているのだけどね。
そして、剣心は彼女を助けるため、彼女への愛のため、
自分の過去を克服し、彼女を救い出す。
最後の薫のセリフがいいなぁ。
「私は剣心が好きだ、言っちゃった。」

さてさて、原作の漫画もアニメも映画も観たことないけどアニメだね。
話的にはイマイチだけど魅せ方はうまい!
相変わらずのワンパターン演出だけどね。
30ぐらいのパターンの中から、これとあれとそれを選びました的な作り方。
凪翔の観流はPUCKのレノックス、 オーシャンズのベネディクト。
人切り時代の青、殺さずの赤と対比も鮮やか!
そもそも原作がそうかもしれないけど。
それでも、フレンチミュージカルの経験など取り入れて進化してる。
生徒も使い方もうまいよね。
がおりや大とかも十分活かしてる。
がおり、大ファンも満足だね。
凪翔も吹っ切れたかな?
濃いキャラクターをよく演じてた。

ちぎの身体能力すごい。
みゆちゃんもさすがのうまさ。
彩ちゃんの少年役も良かった。

でも、一番は凪かな?
ガートガトガトガトリングガン!
咲奈の「悪・即・斬!」も笑える。


三週連続三回目のシェイクスピア

観れば、観るほどいい!
初回がどうして評価が悪かったのか?
3日目だから、最初がファミリーミュージカルだったんだよね。

前半はラブロマンスで、ロミジュリをベースに現実と劇が錯綜する。
後半はシリアスになり、冬物語をベースに現実と劇が錯綜する。

アンが高いところにいるときにシェイクスピアは言葉を紡ぎだす。
木の上
バルコニー
最後の台

リチャードはアンがいないと失敗するといった時、
ここまで理解していたかを確認するため、
せいこちゃんが気絶したあと、ずっと様子を見ていた。
みんなの小芝居を見ているとどうもせいこちゃんが気絶したのは計算ではないようだ。
やるな、生田!

理事長が変わり、歌えない生徒には余程でない限り歌わせなくなったので、劇を引き締まる。
(それにしてもうららに絶対歌わせず、歌うまさんとセットだよ!)

今日はコマが気合入ってた。
小芝居もほどよくなってきた。

観劇予定はあと一回だけど買い足す?(笑)
2回目のシェイクスピア

前言撤回します。
素晴らしいです。

1回目がイマイチで2回目で評価変わりました。
前田慶次以来です。

初回の疑問点が解消。
ポイントはウィリアムが言葉を紡ぎだす状況。
出会いは木の上にアン
次はバルコニーにアン
ウィリアムがステキな言葉を紡ぎだすときは
いつもアンを見上げるかたち。
ウィリアムが言葉を失った女王の前でのお芝居
再び言葉を出すのは、アンが上にいることがわかった時。
だからこそ、アンが必要だった。

でも、細かい注文がいくつか。
ロミジュリの上演から回想して再び現在に戻るとき、
やはり最初のグローブ座のセットに戻さないと。
最後のウィリアムが再び言葉を紡ぎだすとき、
あれは現実に戻るのではなく、芝居の体で話したほうがいい。
それにタイトルを冬物語とはっきりいわないと。
中盤の家族の物語りとして冬物語を書こうとして書けなかったところを受けるシーンなのだから。
今年初観劇!
期待の「シェイクスピア」!だったが・・・

辛口なので、要注意。
その前に藪ちゃん大絶賛の記事をどうぞ。
ameblo.jp/takarazukakagekishikyoku/entry-12113710282.html
思ったことはほぼ同じなのに感想が真逆なのが面白い。

前半はファミリーミュージカルのような雰囲気。
シェイクスピアに関する情報が少ないことから、定説にこだわらず割と自由に書いてるなと思ったけど中盤はマニアックな定説に基づいたつくりをしつつ、最後は思い切り遊んでました。

いくつかのシェイクスピア作品が劇中劇というほどではなく、
一言二言ぐらいですが、挿入されています。
最初のロミジュリのバルコニーのシーンは荒唐無稽だけどお遊びとしてはいい。
でも、事実でないとは言い切れないけどほぼ生田君の妄想ですから。
真風ケアリーの脅しのあとの挿入は
もう少し意味あるセリフを言わせないと意味がない。

藪ちゃん絶賛の木から落ちるシーン。
もう少しエリザぽくしても良かった。
同じくロミジュリのパロディ。
階下から、呼ばれて「待って!」というところが可愛いのに無し。
パロディするなら、もっと強くすればいいのに。

どうも「冬物語」が主旋律になっているようなのだけど・・・
結婚してすぐに家族の物語として「冬物語」を書き始めるが、書けない。
ここが最後の伏線、すなわち冬物語の完成が結末になっているのだけど、
最後が「冬物語」であることがわかる人にしかわからないようになっているので、
折角の伏線が意味がないようになっている。
そして、冬物語は1610年の作品で、エリザベス女王は1603年に亡くなっているので
観ていないはずなんだけど未完のまま披露しているので、辻褄が合うと言えばあう。

紋章をもらえるか(ジェントルマンになるか)どうかも副旋律としてあるのだけど。
シェイクスピアが紋章を望んだのは憎んでいる父への愛ゆえなのか、
それとも父を越えたという意味なのか不明・・・
事実はシェイクスピアが紋章を望んだが、役者では資格なく父の経歴を利用したのだけど。
宝塚的には前者であるべきなんだけど表現が弱いんだよなぁ。。。

今風に表現すれば、ワーク・ライフ・バランスの物語りです。

個人的にはまどかちゃんの抜擢と久々のせいこちゃんの男役が観れたこと。
まどかが急上昇でうらら吹っ切れたか悪役に徹していた。
これもかなりのファンでないとわからない(笑)
せいこちゃん、も一回男役に戻る?(笑)

トップコンビはいいですよ。
役者はいい。
脚本がダメ。
今年は泣ける話が多かった。
1789、王家に捧ぐ歌、星逢一夜、舞音、そしてこの銀二貫。
でも、唯一ハッピーエンドというか二人は死なずに結ばれる。

随分と前に原作を読んだけどほぼ原作通り。
観ているうちに原作を思い出した。
最後は駆け足になったけど(笑)
れいこちゃん初主演。
落ち着いていたね。
誠実な役をよく演じていました。
個人的にはあす演じた梅吉の性格の描写がもう少し欲しかった。
気のいいところだけになっちゃった。
原作では結構意味がある性格というか性向だったから。

あと真帆(おてつ)の火傷の場所が原作と違う。
原作は完全に顔の半分だったけど今回は首筋になっていた。
やはり宝塚だもんね。

みつるが良かった。
専科に移って芸に専念できる環境になったからかな。
歌も得意でなかったはずだけど平均点は越えていた(笑)

お里役の愛すみれ
半兵衛、父親ほかバイト多数のがおり
ベテラン陣も建材
というかがおりの位置づけが少し悲しい・・・

若手では本筋とは関係のない役だけどソロもあった3人
大根屋の眞ノ宮るい
子守りの少女の月華雪乃
おでん屋の諏訪さき

もう二幕は泣ける!
お広と真帆(おてつ)
真帆はお広が自分を実の娘おてつと勘違いしていると思い、おてつを演じる。
お広はお広で、天涯孤独になった真帆を思い、実の娘おてつと勘違いしていることを演じる。
お互いがお互いを気遣い、演じる。
お広が亡くなる直前に「もういいよ」とおてつ(真帆)にいう。
おてつから、真帆に戻り、松吉と幸せになりなさい。
泣けた。。。

最後は大坂らしく、かたき討ちの銀二貫、安い買い物だったと。。。

舞音の本名を知っているので、冒頭から泣ける。
プロローグから過剰なほど舞音のメタファーに溢れている。
舞音はシャルルを騙したんじゃない。
だって、兄貴がすべて監視してたじゃない。
二人の逢瀬は源氏物語宇治十帖の匂宮と浮舟のよう。
飾りとしてではなく、本当に愛してくれた初めての人
父と同じフランス人の男
亡き父は本当に私を愛してくれたの?
愛がなんなのかわからない。

理性と感情
理性で人を愛する訳じゃない。
もし理性で愛したとしたら、それは打算、あるいは後付け。
打算から愛に発展したのがエドワード8世。

水が汚れているほど綺麗に咲く蓮の花
綺麗は汚い
汚いは綺麗

贅沢を好む舞音
それを憎むホマ

その舞音も革命の犠牲者なんだ。
最後に共感するホマ

このあたりはベルばら

愛するから許せないのか
愛しているから許すのか
教えてよ、愛がなんなのか?

綺麗は汚い
汚いは綺麗

最後は汚れてる水に咲く蓮の花を受容する舞音
そして、理性ではなく、感情のままに動くことを決意するシャルル











舞音
舞音(マノン)はファム・ファタムじゃない。
時代が変わり、貧困がマノンをファム・ファタムにした。
ただ裕福な家に生まれたオリジナルのマノンとは違う。
だから、原作のアクティブなマノンとは違い、舞音はすべて受け身。
本人の意思とは関係なく進む。
ただ浪費家なだけ。

後半は景子先生お得意の革命に進む。
あらっ、ベルばらじゃん!‎
1789 バスティーユの恋人たちじゃん。
星逢テーストも入ってるやん。
と思ったら、ふと気づいた。
舞音はマリー・アントワネットじゃん。
シャルルはフェルゼンか?

理性と感情。
最後は感情が勝つ。
オーガニック・ピュア・ラブ・・・らしい。

個人的には星逢より泣けた。
既視感ありありの場面が多かったけどね。
ラストは王家かファントムか。

もうひとりのシャルル、みやるりがわかりにくい。
陰ではなく、シャルルそのものだから。
真実の愛、あるいは欲望そのもの。

シャルルのダンスはみやるり担当
まさおはシンガーになったのね。
たまきち、意外に早く死ぬ。
すーちゃんのソロが少ない。
くらげ、意外に歌うまい。

ゴールデン・ジャズ
やはりちゃぴの幻のサヨナラだったのかな?
ショーでもまさおは歌担当、ちゃぴはダンス担当。
ジャズと関係なさそうな土着的なダンスのちゃぴは男前だった。
たまきち、2.5番手ぐらいかな?

新源氏物語、前楽マイ楽。

結局4回観たのかな? 5回かな?

源氏物語をうまくまとめたなとは思うのだけど4回目か5回目ともなると睡魔が襲う。

どうしてだろうと考えた。

まず藤壺の面影を求めて愛の遍歴をということなんだけど六条の御息所も藤壺の形代に含めたのは

無理があるように思う。

原作では二人の馴れ初めはまったく語られていない。

ましてや藤壺の形代などとは触れられてもいない。

六条の御息所もインパクトに欠ける。

柚カレーなので、ソロを封印した影響もあるかもしれないけどね。

柚カレーよりじゅりあのほうが良かったんじゃない?

まぁ柚カレーは当初より随分と娘役らしくなったけどね。

前半の見せどころが車争いからの御息所の生霊による葵の上の呪殺。

後半の見せどころが柏木の女三ノ宮の略奪愛。

源氏物語は永劫回帰的な要素もあるので、前半はもう少し光る君と藤壺の不義の愛に時間を割いたほうが良かったように思う。

とするとラストのコキュとなった光源氏が活きてくるのに。

まぁ御息所は出したくなるキャラクターではあるけど削っても良かったかもね。

光源氏と藤壺の禁じられた愛から冷泉帝誕生までをじっくりと

若紫拉致と溺愛

思い切って車争いから葵上の呪殺を削って

朧月夜のシーンを分厚く、

朧月夜は嵐の夜に右大臣に密会現場を見つかるところが見せ所なんだけどね。

柏木、女三ノ宮を分厚く、かつ紫上の悲嘆を丁寧に、

特にちなつの夕霧がいいだけにもったいない。

最後に父帝が自分の不義を知っていながら、知らないふりをしたことに気づき、自分も同じように知らないふりして薫を育てていくこと

を誓うとしたほうがいいのにね。

その回答がやはり「夢の浮橋」だったような気がする。

あと十年後の光源氏がもう少し格好悪くなってないと女三ノ宮が柏木に魅かれたところが強調されない。

みりお、十年経ってるんだから、変化つけなきゃ!