今夜は、先月南海放送の代表取締役社長に就任された

河田社長と会食させていただきました。


松山に来ると毎度、お食事をご一緒させていただいていたのですが

社長に就任されたこともあってか、これまでとは異なる社員の方々の反応と、

だだっ広い立派な応接室に若干緊張してしました(苦笑)


リアルワールド社長のBLOG-南海放送
応接室からの眺望。


堀井を含めた松山城全体を眺められました。

東京で言うと皇居が一望できる感じでしょうか。



南海放送は、日本テレビ系列でTV、ラジオ、イベント業を行い

50年以上の歴史を持つ地域密着型マスメディア企業。


昔からフットワークが軽く、河田社長から生み出されていたもののように思います。

河田社長は、いつも謙虚で、低姿勢、好奇心旺盛な方。本当に尊敬しています。


リアルワールド社長のBLOG-南海放送河田社長


初めて河田社長にお会いしたのは12年前。

私がネットビジネスに入るにあたり

大きなきっかけ、チャンスをいただいた方です。

あの時がなければ今はなかった。



遡ること1997年。

ゼミの教授より南海放送のWEBサイトの企画・制作・運営を

バイトで行って欲しいという依頼があると話を頂き、

まずはお会いすることとなりました。


当時、河田社長は総合企画部部長。

企業がWEBを持ち始める前世期、愛媛では本当に珍しかったのですが、

ネットへの進出を早期に進めたのは他でもない河田社長。


いろいろ説明をお聞きした上で、私が返答したこと。


「させていただくのであれば、

バイトではなく会社として引き受けさせてください!」

これが大学時代に作ったAKURIという会社のスタート(笑)

以来、世間知らずの若造、たくさんのご迷惑をおかけしたにも関わらず、
温かく見守っていただき、たくさんのチャンスをいただきました。
また、他企業の案件を紹介していただいたり

当時としては珍しい花火大会をネット動画でライブ中継したりと

貴重な経験を積ませていただきました。



ちなみにゼミの教授は、四国全体でITを推進する重要な立場の方。

にも拘らず、その教授のゼミの学生が他企業から仕事を奪った形となり、

一気に注目されご迷惑をおかけすることに。

正直、失敗できないという強いプレッシャーがかかりました。


当時は、超ストイックで3徹はあたり前

デザインであろうとシステムであろうと全て独学だったため、

自ら学ぶ力とWEBビジネスの基礎力がつきました。

当時の契約書は今でも大切に保管してあります。


そういう訳で当時の世間知らずの私を

広い心で受け止めていただいた河田社長は

今を築くために不可欠な存在でした。



昨夜は近頃の景気から愛媛経済、経営や組織等、

たくさんのことをご教授いただきました。


またご教授いただいたことの中で「アンテナを張るという言葉の語源」


モールス信号が太平洋を横断するようになったのは

タイタニックの事故が起こった頃で、あの事故の際には3日間、

「がんばれ!」という信号がニューヨークから送られていたとのこと。

つまりアンテナを張るという言葉は

沈没寸前の乗船者に対して送られていたシグナルで、

「生命線としてアンテナを張るように」「情報収集を常に行うように」

と言う意味合いからこの言葉が生まれたようです。


成長のためにアンテナを張る、とよく言いますが、

個人にとっても組織にとっても、生きる道としての情報を受信するという

非常に深い言葉だったようです。


そんな河田社長はあと少しで65歳を迎えるます。


マスメディアだけあって関わられる方が広範囲の業態ですが、

今でも勢力的に活動し、様々な場所に自らが身を運び、

そこから多くのことを感じ取られています。


私たちがイメージする

踏ん反り返る偉そうな経営者の姿はどこにもありません、


そして一言に心も頭も若い。



青春とは/新井 満
この本を薦められました。

話全般を通して、企業として利益追求は勿論必要ですが

それ以上に企業の存在意義、この大変な時代の中でのメディア、

更に地域に根差したメディアの役割を日々真剣に考えられています。




実は7月に共同事業を開始すべく準備を進めています。
TVの強みとネットの強みを合わせたチャレンジ!


絶対に成功させたい。