月一天理教の巻 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

目の前に箱がおいてあります
外側から見ただけでは一体なんの箱かわかりません


もし箱の中身がゴミならば、コレはゴミ箱だと理解するでしょう
箱の中に宝石が入っていれば、コレは宝石箱ということになります


箱の値打ちは箱そのものではなく、中身によって決まるのです


人間の場合も同じようにどんなに外見を装っていたとしても、その人の真の値打ちは
信念や普段の心遣いなどといった、内面の姿によって決まるのではないでしょうか



開眼⬇

自分の心の弱さに気付いて
人の温もりを知りました

自分一人ではなにもできないことに気付いて
人に頼れるようになりました

自分の傲慢な部分に気付いて
人を褒める事ができるようになりました

自分自身を見つめ直し
謙虚な姿勢を心がける、その先に見える世界は喜びと安らぎに満ちています



これは天理教の家の旦那さんを持つ人からこっそりいただいたものの紙の一部ながやけど

あ~ね~~と思うたわ。



また自分が先祖や神霊から言われてきたものは、正しさより優しさってことやとわかった。


この紙の一部に、正しさや正義は時として人を衝突させることがあります
お互いに自分が正しいと思っていると争いはずっと続くことになります


夫婦や家庭をはじめ、世の中が治まることは時代や思想によって変化する、正しさや正義ではなく


一心に相手を思う、あたたかく優しい心によってのみ成されるのではないでしょうか。


と、いう風にあった
まっことそうじゃのうと  思うたわ


けど、うちはこんな事をまだ言える年でも内面でもないけん、こんなことより先に今言うべき事があって、わかりやすくは言わんけど


単純にこういうことやと思うね。
真理が言いたい事も、確かにうちは真理から神にたどり着きその正体を知りあの世を見ることができた。
しかしながら、今生きて必要なのはそんなことではない。
今必要なのは、仕事をして毎日をこなし、その中でどうやって人を喜ばせれるかという事よ。
所詮あの世が神が真理がという間は、親に許可をとって金を出してもらう間に知ってきた
まあ、これはこれを始める3年前から計画はあったがやけど、見えだしてから怠け病やないかと一回働いたがやけど、ますます見え出す一方でね。


強くなるばっかりやけん、体力もなくなったし、一回仕事をやめてこの恐いわけわからんもんを突き詰めるならやるならガッツリとやっちゃると思うて、霊界や神様に足を踏み入れちゃったがやけど


それからいろんなことがわかってきたわ。


上の文のように、優しく単純な事はそれをゆうにふさわしい人がおる。
これもゆう人によって波長や霊格や霊力により、どのように伝わりどこまで広く届くかが違うけんね。


私ではないわ。


けど、載せたらええかなあと思うて、載せた



今日は起きて歯磨きしよったら、鏡越しに見た自分の左の手首に数珠玉が霊体で見えて、なんじゃろう?!と思うた事やった
鎖にも見えたが。木でできたような丸いモノの連なった数珠やったね
なんじゃろう、あんまり手首にはつけんがやけど。
霊体というのはカラーではなく透明か黒か灰色をしていてね
寝不足の時なんぞ特に見えやすいわ
意識してない視野の隅でね。


意識で見える霊と、現実で目で見る物とは少しズレがあってね
例えば、直ぐ真横で霊が上に上がったとしたら、現実では天上辺りがベキィ!と音が鳴りよる


昨日も寝ろうと思うて目を閉じていたら、冷蔵庫の横でピシッと床が音が鳴ったのが耳から聞こえたがやけど、それと同時に意識内では音の鳴った距離にうちと同じ年ぐらいのボロボロのズボンをはいた素足が見えた


生きた人間もこうした霊界で見えるし、死んだもんも、神霊も精霊も普通に見えるけん、それが生きた人間か死んだ霊かはわからんが。


まあ、なんといろいろ見えるわえ。


そういうことがあるけん、うちは爽やかで優しく慈悲のある明るげな事は、言えんがかもしれんね。


見えることが悪い事ではない
別にこれが支障になったことは見え出した3ヶ月ぐらいやったし
今は自分の性格と正義が自分の障害やね(´・ω・`)
どの神様よりも同等に強いのは、やっぱり血からの因縁やと思うね
肉体があって生きるというのはそれほどのもんながよねえ


全部神様が上やといいよるけど、うち自身からしたら、神様も自分の性格も、自分の変えれるもんやないけん、相当なもんやけどね。