本買った! | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

うちアメーバブログ2010年からやりよって、そこに霊的な事を書くもんやけんいろいろスピリチュアルの人が読者登録してくれるがやけど、精神世界ランキングっていうやつに参加しよる人がたまにくるがよ

で、ある日賢者テラっていう人を知ったがよね(゜▽゜*)

歯の浮いたことを言わん人でね、やけんたまにこっちも青筋入る時もあるけど、うちはこういう現実主義って合うがよ

霊感があろうが、真理をしろうが、神様をわかろうが、結局生きるって人間性大事やけんね。

神様わかればその人は聖人とか、まあーそんなもん、ありえん話よ。
いや、人生現実を受け止めてやりきった老後の人は神様わからんでもうちは聖人みたいな人いっぱい見てきたで。まあ、仏さんて事やけど。

霊性や霊位霊格が高ければ神様には合えるけんね。
やけど現実で生きるってそんなもんがあっても、不幸もあれば厄年もあるし、しんどいときもあればエエ時もあるわけよ。
性格は因果としてあるけんね、うちもなかなか苦労する性格を血で受けついでいて、それに対しては指摘がよく入るわ
やけん神様わかるところで、所詮、というのが現実よ。

神様わかる人は人を救う仕事をしたらええというけど、人の気持ちをわかるっていうのは、そんなしんどいことが終わった人やないと、しんどいことをしよる時ってできんけんね。

やけん宗教で人救うには老後がええがよ
人の事を人生やってきてわかってやれる人が一番人を癒すけんね。
それか金もあり生活に困らんし家のこともできている基本がある主婦とかね

やけん自分がしんどくない時に人の事を考えてやるぐらいが調度いい

と、話がズレて。何が言いたかったか。


今さっき用事でTSUTAYAに行ったときその賢者テラって人が本を出したけん買ってみたんじゃー

まだ読んでないけど楽しみや。


うちも神様ってもんは凄い力があってなんでも救えると思うちょったがよ
実際追及するとなぜ、現実はこうなのか!を知らしめる道に過ぎんかったね

やけん『死ぬときには死んでこい』ってうちでさえ言われるわ
あーわかったわかった、言うてね(笑)
しかし、何をするにも人に迷惑かけてまですることではないわ。


思考の現実というやつがあるろう
うち、忘れちょったけど、良いことを起こす為には先に嫌な目におうちょらんと、次に良いことを起こさんよのお
因果率になるがやけどね
やけど、たまに予期せぬ自分の計画とは裏腹の事が起こるわえ
で、これを見た時に、普通思考の現実は起こることが起こりよるだけやないかと思うたがよ

『なにか特定なモノが現れるときだけ、現実に不可解なものが起きる』

と言われてね。
どうしても、やらないかん事故、出会わないかん人、やらないかん事柄については、とんでもないことが起こってそうなるわ。
思考の現実モロ無視で、操作がきかん。
起こることが起こりよっただけやに、それを思考の現実と勝手に思ってたんだーー☆やっちゃった☆テヘ!
みたいに、誤魔化さないかんような事が起こるわえ。

これはものの見事やね。
私を裏切るけん。
自分の撒いた種やと言われるけど

やけん、不幸すらはめた思考の現実というならまだ話はわかる
それっていつもの日常やんかって話やけど。

思いたくて思うた事が叶うなら、思いたくないから思わなかった事も叶うわえ

当たり前やろう。

やけどね、ふと思うた事が良いことで叶うなら、それは不幸を呼ばん
思いっきり思うわけやなくて、天の運気に乗るという事やけん
それでふと嫌な感じがしたら、いつもなら気を付けん事に気を付けたらええがよ
その程度で行くことこそ、いろんな事に巻き込まれんと人生行けるがね。


思考の現実は、その人がそうなる人生と決まっておるなら、それをいうて矛盾はせん
やけど、そうならん人生の人がその人のように継続する思考の現実をしようと思うても無理という事は、頭で知っておかないかんで。

人間おかしいもんでね
良いことばっかり思える日々が続くやいか、そしたら突然思えんなる日が訪れるがよ
どうあかいてもやれよったことができんなる日がね。

良いことを思える人って、やっぱり人生やや大変なことや少しの苦労がある人が、前向きに持っていこうとしてそれを埋めれるだけの明るさを持とうとするわ
やけん多少の負荷って必要ながよ。

やけどねこの負荷のないまんまやりよる人間はね、まーーー単純にやるけん良いことも悪いことも単純にでかく返るけんね。


気を付けちょけよ

人の道におらないかず、いかに何事もやりすぎない、ということも一つの智恵よ。

その時はええわ
やけど先の事も考えた時にね。


やっぱね、自分ではわからんもんでね
いつの間にか無欲で求めよったものが、調子にのってきたらただの欲に切り替わっておることがあるのよ
一時は叶い続けるわ、やけど、なかなか初めの頃とズレか出てきだすけん、その陰で思わぬ不利益者も出して、そこに調子づいちょると気付かんがに、後からガーンとなるがよね。
人に直接やられることもありゃあ、神様にやられることもあらえ。

何をしても不利益者は出るけど、それをわかっておることとわからんとおることでは天地程違うけんね。
自分の調子ええ時には調子悪い人がおる事も事実
やけどそれは人は人、自分は自分、やけんこそ、そういう現実に感謝を置くことがすごい大事ながよ。
これを謙虚というがよ。

その感謝が、誰かの犠牲の上に今の自分がある、ということではなく
その感謝の念が不利益になる人ですら運気の上がる全体性を補足するけんながよね

儲けるならとことん儲けたらええ
やけど故意に踏みにじらんでも踏みにじられる人も出てくるのが現実よ
それでも人を犠牲にしてのしあがったという考えより、その中でも自分は利益を出させて頂いているとどこかで置いた方が自分が楽やないかえって思う。

ま、若者はガンガン人を蹴落としてやるろうけどそれは見よると面白い
しかし、年がいくと、見なければわからないような心のどっかで思い出す事やけん、言いよるがよ。


これは世界単位でも言えるがで
日本は腐っても平和やに、外国は戦争をして血が流れよる
やけどその中にありながらこうして日々を過ごせよることに感謝したらええ
そしたら感謝によって人類の潜在意識って底辺で繋がっておるけん、底上げが起こるけんね。

いろんな国があるよ
比べるという比較はきても、上から可哀想とか思わんと、自分の事だけにフォーカスしてその中でもこうしておれてと思うたらええわえ。
この部分の思い方、考え方って凄い難しいがやけど、大事ながよ。

誰かが儲けたら、儲からん人もそりゃーおるよ
やけど実力や運や人付き合いの日頃の結果や会社の大きさにもよるやんか
やけんとにかく儲からんでも潰れんぐらいの仕事さえできたらええがよ。

そのことも踏まえて全体の中に自分等がおることを忘れんかったら、誰もが悲惨になる最悪の流れはないけんね。

そこであの人はあんなに儲けてっていう嫌味を言うのは、もう知らん。


もっと全体性の事を考えないかん。
それがわかったら、何が常識か、何が普通か、何は我慢せないかんか、何で自分に自制や忍耐がいるかわかるはずぜ。

何のためにここまで情報の共有を実現させたがやろうね。
人類は結局一つのワークの中に誰でもあるもんやと知るためやろう。