見返す事は必要 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

人生たまには止まって見返す事は必要ぞー

きちんと生きろうと思うたら今までを一回見返して先の軌道修正かけないかん

これは厄年とかにしたらええわねー
嫌でもじっとしておらなぁいかん時期にね


人生何回かは立ち止まらないかん
ぶっ続けできた道のりなら特にね

うちら人生初めからみないかんかったけん24年を一変に振り返るがに3年かかった(笑)


11月までに間に合うてよかったわ
27になるまでっていう計画があったけん

確実にやることを決めておったのは26までで、うち27には生きておるかわからんかったけんそれ以上の道決めてなかった

やけど自分がこの歳まで生きておるとも想像してなかったけん27になるとか、その先があるとか不思議でたまらんね



やけど、今まで散々足掻いてきて、もとに戻りたいと騒いで苦しんできたのに


時期がきたらあれほど苦しんででも求めた答えは記憶と共にすんなり心に現れて、「あら?」とあがきを止めて冷静になる



執着した考えは消えて、元に戻りたいと思うほどの居心地の悪さはなくなって、そっから発生していた願いや欲望は消えてった


ありゃ?何にもがきよったっけ?って夢から覚めたような意識が起こる


全てが統括した間違いない自分が出す願いは曲がることもないが、カタワの自分が出す答えは変わるもんよ




怨みや妬みを、解き放つ術はもうない!と思うて生きてきたけど、すんなりなくなった

やっぱり演技やったがやなぁと思うたね。



自分ってもんはそんなもんに捕らわれるわけないがって



まどろっこしい事を熱心にしてきたもんよ




なんか自分自身のとらえ違いをしていると先生に言われた事が、今頃わかった

本当に自分が思うておる自分って偽物やったね



これも時が来んことにはわからんかった事よ



老後には少し用事があるが、それまではユラリと神霊が持って来ることに流されて生きようか、と思う
本心に従うわ
私のやりたいことは、もうできたけんね。



目的はあってもそれに辿り着く道のりは遊んでおるために気ままに行こうかと思える
計画もできるけど、人間機械じゃないがやけん水のように流れるがも必要じゃろう
この精神こそ自由と呼ぶものながって


人が求める安全とは神を知ってお任せを知ってこそ流れる道のりであってね

これ程安全なものはないがで



ま、うちの場合本心のアホとがいな裏の自分が意図して現象がくるがやけどね
それでええがってねー



あんまり霊力持って知りすぎるのもよくない
抵抗してしまうけんね



ま、それでも霊力を持って述べてきたのは、人の心や精神や魂にはこんな事実がありますよって言うことよ