格の高い神社や神気 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

人災とは天災のことながぞ
人間の良心とは神の御霊、いうなれば神の意識は人間の精神そのものであるわ
人の心が曇れば天災に繋がるが、そもそもその心は神の意識よ、それが曇っとるのだからねえ
名のある神々は霊体が曇っとるよ
私にいわれせば人の意識は神界の神が動くとそのような向きとなる
人が曇るのは自我をわきたたせる必要性のある時代を造った大元のせいでもあるわ

この世はあの世に重複してあり、霊界の中にこの世が重なってある
悪い想念は大気中の気を汚し、それを禊ごうとする自然の気の動きが豪雨や台風地震竜巻といった災害なのだよ




さてさて
神社や神気の流れる山々の話をちょいとしようと思うとったんじゃが

上記の話しにより悪い気を禊ぐという動きが物質界で起これば災害という現象として出るのだがね

人間の業を禊ぐ時には不幸現象としてこの世に出る

そこから学ばなければならないよ


神気とは神の気なのたがねえ
神々の格位によって威力が違う
災害を起こすにもあれを起こす程の神気の持ち主が動かん限り起こることはない
今回はえっころの神が動いたわな
人の命を3万削る因縁を持ち、それ以上の人間を何万年も救い生かしてきた神の動きよ
どこの神がおわかりか?



神気とは皆内在していてな
内在神が持っとるのだよ
人間の魂とは自分の修行する曇が魂に在るために生まれてくるのだが、その時自分の魂にゆかりのある神が内在神となって自分の魂に融合し1つになり今のお前の魂がある
その為に元々曇がある自身の自我と内在神の良心が備わり良心と自我がある

しかし己の魂の曇のみならず生まれるとは家系の先祖とも霊線で繋がり、肉体を借りるレンタル料として家系の先祖の業をさらに背負う事となる
つまりは自我倍増であるわ

神からしたら一石数鳥で因果を禊いでいるわけだがね

不幸事が悪いわけではないよ
それを被らなければ次へいけんのだから
それをわかって不幸の中で学ぶ心持ちは必要だろうが?
お前がやるといって生まれてきておるのだから


内在神はそれはそれで意識が自分ら以外にあるがよね
やけんうち時々注意されたりアドバイスされたりする
普通の人にはわからんがね


不幸現象とは内在神が神気を発した時に身に起こるのよお
それはどう出るかというと懺悔や後悔やマイナーな心の動きとして出るのよお
悪いと思わなければ一切マイナーは思わんのだから、無意識にでも思うから人は曇るのだ
神さえ連れてなければ曇りなど起こらんのだよ
そしてその思考はそれを持続させる現実を常に造り状況を維持させる
つまり思考さえ変われば現実が動くのだがね
不幸は誰が持ってきとるのかというと、お前の考え方の癖であるわ
それこそカルマと名だたるもの
家系の因縁を纏いし思考と現実
家系の先祖の状況を知りたければ己の現実を見よというつろう
そしてそこから自身の思考回路をね。

反省心なき心、それは人の魂にはあらず、獣の魂である
しかし内在神を連れた人間はそうはいくまい
その為に魂は黒に染まれず灰色に曇る
自我と良心の葛藤により、心から生きれないと嘆きだす、そして生きれない状況を常に造って現象化している
そして最後は人が悪いという
茶番であるわ



神が現象を起こすのではない
お前の思考が今の全ての現実を呼び存在させている
人という創造神の分霊とは思考を現象化させる存在なのだ
故に、夢は諦めなければいつか叶うという名言が先代からあるだろう?
人の自信のある度合いも、魂がそれを無意識に知っているから叶うという根拠なき根拠が己にある
私に言わせばそういうことなのだが
つまり魂の神格と本人の自信の度合いは比例するといえよう
その分役目は大きく、夢も半端ないモノを持つだろう
必然的にそうなる、魂は可能であると知っとるんだからのう
それに夢を現象化させる因果と威力・霊力を持つ
人によって夢が違うのは魂の霊力の違いがあるために現象化させれる度合いが違うからだ


その者におうた夢しか見れんのも真実であろう


己が現象を呼ぶがその心は良心が捨てれんがために不安定な不幸現象を呼ぶ

その捨てれんという心の動きこそ内在神の神気であるわ


それすらなければ闇側へ躊躇なくおれ、人を殺しても罪悪感や恐怖の欠片すらない生き物へとなりさがるというに


最低限で救われとるがためにわけのわからん不幸を人間はよんで嘆いておる


不幸とは常に禊がれとる状況であるが、馬鹿みたいに人生長いこと禊ぎをかけているのも脳足りん学習のない馬鹿がすることであるわ

真理を求めよ