「先生、どうかされましたか?」
「…ん?いや。少し、昔のことを思い出していたんだ。」
お忍びで日本へ来て。
もう一人の『息子』…いや、『娘』キョーコとともに出かけた先は、関東地方の山の、川の上流だった。
あの夏の日から、随分と年月が流れ。
『あの日』以上の衝撃を受けるできごとを何度も経験した結果、すっかり忘れていた記憶が、川のせせらぎの音とともに思い出されてしまった。
―――キョーコちゃん……―――
「キョーコ……。」
「?はい、何ですか、先生?あ、3時のおやつですか?」
うだるような暑さの中。
クオンが初めて見つけた、小さな恋。
あの日に出会った少女もまた、『キョーコ』という名前だった。
―――あぁ、だから敦賀君は、こんなにも『キョーコ』のことになると我を忘れるのかな?―――
もはや、今の敦賀君には、『キョーコ』という名前が重要なのではないだろうが。多分、初対面の頃は、その名前に心惹かれたということもあったのかもしれない。
何せその名は、初恋の少女と同じ響きの名前なのだから。
「敦賀さん、社さん。お二人とも、飲み物はいかがですか?」
分刻みであろうスケジュールを、ムリヤリ調整させて、私と娘とのデートを邪魔しについてきた日本のトップ俳優と、そのマネージャーを見る。
トップ俳優は、極上の笑顔で私のおやつを取りに行ったキョーコにちょっかいをかけているが、その後ろから二人の様子を見つめる、マネージャーの目は疲労を訴えている。
―――全く、優秀なマネージャーを困らせて…―――
クオンであった頃では考えられないような行動だ。
それでもその行為を『成長』だと考えてしまう私は、相当な親バカなんだろうな。
「あ、ありがと~、キョーコちゃん。」
「いえいえ、今日は暑いですものね。」
私とのお出かけということで、キョーコは大きなクーラーボックス(おやつが入っているらしい)を持って待ち合わせ場所に現れた。むろん、そんな彼女の荷物は、私のSPが持ったし…彼女の恐縮する可愛らしい姿が見たいからなのか、ムリヤリついてきた俳優も率先して荷物運びをしてくれた。
そのクーラーボックスから、キョーコはマネージャーに冷たいミネラルウォーターを差し出した。
「敦賀さんは、どうされますか?」
「え?あ、アイスもあるんだね。」
キョーコと視線を合わせるためだろう。中腰になる彼女に合わせるかのようにしゃがみこみ、クーラーボックスを覗きこむ敦賀君。
「あ…これ……。」
「あ、これですか!!うふふっ、私が好きなので、買ってきちゃいました!!」
「もう初夏ですし、今日は暑いですからね~~」と言いながら、嬉しそうにキョーコが取りだしたもの。
それは……。
「懐かしいな、パピロだ。」
「あ、本当だ、懐かしいなぁ~~。俺、小学生の頃、毎年お世話になっていたよ。チョココーヒー味!!」
「そうなんですか?私も毎年お世話になっていました。」
なんとタイミングのいいことか。キョーコが取りだしたのは、『あの日』の思い出のアイスだ。
「フフフフフッ…」
「ん?どうしたの、キョーコちゃん?」
「あ、ちょっと思い出してしまったもので……。」
「?ん?何を?」
若者達の話を何気なく聞きながら、私はキョーコの手の中のアイスを見つめる。
もう長い年月がたっていると思うのだが、あの形には変化がないな……。
「昔、私がお世話になっていた旅館の近くに、小さな駄菓子屋さんがあったんですけれど。そこで私、いつもパピロを買っていたんです。」
「へぇ~~。」
「友達と遊びに行く途中にも、買いに行ったんですけれど。いつもたくさんあるパピロがなくって。困っていたら、そこにいた若いお兄さんが、ひとつ分けてくださったんです。」
「……最上さん、変な人に物を与えられちゃダメだよ?」
「むっ、大丈夫です!!そのお兄さんにも、ちゃんとお金を払って分けてもらいましたし!!」
「ま、まぁまぁ、蓮。で、何が面白いことだったの?」
そのまま痴話げんかにしか見えない言い争いに発展するかと思いきや。うまくマネージャーが止めに入ってくれた。
―――うん、実に優秀な人材だ、彼は!!―――
「あ、そうでした。分けていただくのも申し訳ないな、と思っていたんですけれど、その方、手提げ袋に50個ほどのパピロを入れてらしたんです。」
「は!?50個!?」
「え~~と、それは……。何かパーティーでも開く予定だったのかな?」
「私もそう思って尋ねたんですけれど。自分が食べるんだって仰って。クスクス…すごく身長の高い方だったとは思うんですが、太ってはいらっしゃらなかったのに、物凄く食べるんだなって、本当にびっくりしたんですよ!!」
「……そう……。何だか、誰かを思い出すよね……。」
「すごいなぁ、その人!!」「えぇ、もう顔も覚えていませんけれど…。」と、会話を続けるマネージャーとキョーコ。
そんな二人の傍から、敦賀君が私に何かを訴えるような目を向けてくる。
「…………。……はははははっ……。」
キョーコの話と、今、彼が向けてくる呆れ切った表情がつながった時、ひとつの真実が浮かび上がって来る。