何も映すことのなかった世界が白一色に変化する。
何も聞こえなかった世界に、囁きのような声が聞こえてくる。
そして。
「……キョ―コ……ちゃん……。」
凍える闇の世界に広がる、ぬくもり。
頭を包みこんでくれる、細い腕。
左耳に響く、少女の生きる鼓動の音。
……その全てが、少しずつ、闇に沈む『男』の身体を、温めていく……
「………聞こえますか……?」
「…………。」
蓮にしか聞えないほどの、小さな声。その声で、問われたこと。
彼女の柔らかな胸に頭を抱かれながら、瞳を閉じる。
―――聞こえる。確かに、彼女の生きている証の音が……―――
トク、トク、トクと刻まれる、愛しい命の音。
少女を生かす、脈動が。
蓮のものとは違う、脈打つ音が、聞こえる。
「……触れて……。」
「え?」
「君に、触れても……いい?」
掠れた声で、問うた言葉に。
「……どうぞ。」
穏やかな少女の了承の答えが得られる。
「…………。」
ゆっくりと瞳を開けて、少女の腕の中から顔を上げる。
眩しい光が射し込む世界の中で。泣きそうな顔で微笑む真っ白な少女がいた。
「……こんなところまで、手を伸ばして……。」
深い深い、闇の底。心の底にある『その場所』までは、計り知れない距離があるというのに。
「何かあったら、どうするの……?」
触れたら最期、切刻まれる可能性だってあるというのに。
闇に潜む狂気は、愛しい人にも簡単に牙を剥いてみせるのに。
それなのに、真っ白な少女は、闇に沈む男の傍に、たった一人でやってきた。
「何があっても構いませんよ。」
そして少女は、慈愛に満ちた聖女のような微笑みを蓮に向けてくる。
「貴方のもとに辿り着けるのなら。」
「…………。」
眩しい、光のような娘。
彼女の笑顔に、彼女の言葉に、彼女の香りに、彼女の温もりに…彼女の、存在に。
沈んだ闇の底にはいつも、光が射し込んだ。
何度も何度も、彼女に救われて、光の世界で歩む『男』は、息をすることができたのだ。
でも、闇の底で沈黙をしていた『男』は……。
光の世界を歩む男の中で、ずっと息を殺して…。だが、誰にも見られないその場所に『独り』、『存在』し続けた。
だが、今。
「…………温かい……。」
焦がれた、光に。
唯一求めた少女に。
いつも『敦賀蓮』という光の中に立つ男の奥底で『独り』、見つめていた存在の頬に今、触れている。