鳥になりたい、と誰かが言った。
鳥のように自由に飛びたいのだと、その人は言ったのだ。
でも、鳥は果たして自由なのだろうか?
「飛ぶ」ということは、彼らを縛る術にはならないのだろうか?
……何を「自由」と呼び、何を「束縛」と呼ぶのかは…きっと。その人の選び方次第なんだ……
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「香蘭。」
「あ……。はい、雨帖様。」
晶の国の帝の側近・雨帖が住む屋敷。その一角にある美しい庭園で、ぼんやりと佇んでいる香蘭を優しく呼ぶ声があった。
そこには思った通りの男性の、優しい笑顔があった。
「ははっ、まだ私のことを『雨帖』と呼ぶのは、慣れない?」
「あ……。ご、ごめんなさい……。」
「いや、構わないよ。少しずつ、慣れてくれればいい。」
雨帖の屋敷に居を移して1週間。
不自由は何一つない。
「ここでの生活は、どう?少しは慣れた?」
「うん。」
「母上は、無茶を言ったりしない?」
「うん。とても、よくしてもらっているよ。」
この1週間。香蘭は毎日、瑠璃の下で王族の立ち居振舞いについて学んでいた。
「女中たちとは、どう?」
「皆さん、とても優しいよ。…色々、してもらいすぎている感じだけど。」
陽の国から雨帖と瑠璃を慕い、ついてきたという女中たちは、皆、平民の香蘭を好意的に受け入れてくれた。
初日は、香蘭を着せ替え人形のように豪華な着物をあれもそれもと着せかえたり、おままごとの人形のように食事から入浴にいたるまで世話をしようとしたのだが。
「……母があんな調子だからね。うちに仕える者は、普段誰の世話も焼けないものだから、うっぷんが溜まっているんだ。初日は本当に申し訳なかった……。」
「あ、はは……。でも、瑠璃様が止めて下さったから、今は色々自由にさせてもらっているよ……。」
着替えも入浴も一人でできると泣き叫ぶ香蘭を、瑠璃が庇ってくれて以来、自分でできる範囲のことは自分でさせてもらっている。
最も、今後は傅かれることに慣れなければならないのだが。
―――要はね、香蘭ちゃん。―――
陽国の民族衣装の着付け方を学ぶのに四苦八苦している香蘭に、瑠璃はにっこりと笑って言ったのだ。
―――庶民の出で王族に入るのに必要なのは、ハッタリなのよ。―――
『ハッタリ』。
その言葉だけに込められた、想いは決して軽くはない。
全てを受け入れ、耐え抜こうとした女性のその助言は、これから巻き込まれる運命に、きっと役に立つ。
「それにしても、陽国の衣装、よく似合うね。」
「え?……そ、そう……?」
「うん。まるで、昔から私の国の人間だったかのようだ。」
今日、着付け方を学び、何とか見られる形にまで仕上げられた姿を、頭のてっぺんから沓の先まで見つめられ、恥ずかしさに俯いてしまう。
「…この国ではやっぱり少し、浮いてしまうな……。」
「そうだね。ここは、晶の国だから。」
雨帖の屋敷の人間は、ほぼ全員が陽の国を思わせる小物や装飾具、布をうまく使い、晶の国にあってもおかしくない姿で過ごしている。
これは、順応することに長けた民族だからだろう。
香蘭にはなかなかできない芸当である。
今は晶の格好をするのか、陽の格好をするのか、この2択を選ぶので精一杯だ。
「雨帖。」
「はい、母上。…それじゃあ香蘭。また後で。」
「あ、うん。」
瑠璃の呼びかけに応じる雨帖は、最後に優しい笑顔を香蘭に向けてくれる。
それに対し、香蘭は先ほど瑠璃から倣った通りの礼をとった。
「うん、上手だよ。」
「あ、ありがとう……。」
優しい褒め言葉を残し、雨帖は瑠璃の元へと去って行く。その後ろ姿をしばらく眺めた後、香蘭の視線は再び庭園に咲く花々へ向けられた。
そして香蘭はそこで。
「…………やぁ…。」
「………はい……。」
会うべきではない人と、視線を合わせてしまった。