「で?話ってぇのは何だ?わざわざ社まで付き合わせやがって。」
長身の男の背後から現れた美形マネージャーの存在に、一瞬だけ目を見開いたローリィだったが、すぐさまいつも通りの余裕ある笑みを繕ってみせた。
だが、その瞬間を見逃さなかった蓮は、思わずしたり顔で笑んだが、こちらもすぐに表情を改めると、無言でしめされたローリィの向かい側の席に社と共に座った。
「まずは、お礼に。…『独』のCMの際には、俺のこの業界での立場を守ってくださって、ありがとうございます。」
「別に礼には及ばん。せっかく俺が採ってきた仕事を放棄するなんざ許せねぇからな。ありゃあ、俺の面子を守るためでもあった。」
「ふふん。」と鼻で笑って見せる社長は本心からそう言っているようにも見える。…だが、何度こうして彼に救いの手を差し伸べられたことだろう。
全てを把握していたわけではないけれど…心当たりは、たくさんある。ただ、声に出して礼を伝えたことはなかったが……。
「それ以外にも。特に今回の一件では、たくさんご迷惑をおかけしました。…対応いただき、ありがとうございます。」
「『敦賀蓮』にはそれだけの価値がある。俺は事務所の社長として当然の対応をとってきただけだ。」
「『敦賀蓮』には、そうなのかもしれません。でも、最上さんと…『オレ』のことは、関係のない事でしょう?」
『敦賀蓮』という商品に対し、そのブランド力を傷つけられることから守るのは、確かに『事務所の社長』の領分かもしれない。だが、ローリィが苦渋の判断をし、図った措置はそれだけではなかった。
その指摘をすると、ローリィは一瞬だけ視線を彷徨わせた後…ニヤリ、と笑って見せた。
「…………。まぁ、なんだ。…仕方ねぇだろうがよ。お前の事はクソガキだった頃から知ってんだぞ、俺は。」
「えぇ。その頃にもたくさんのご迷惑をおかけして…同時に、迷惑をかけられましたね。」
「言っとくが、お前が俺のライオンに襲われそうになったのは、お前が不用意にあいつに近付くからだぞ?」
「………。別に思い出したくもない過去の話をするのはやめてもらえませんか?」
隣で「ヒィッ!!」と驚く社に「怪我は一切してないですから大丈夫ですよ」とさらりと答えた後、『彼』は改めてローリィを見る。
「ボス。」
「おぅ。なんだ?クオン。」
昔、馴染んだ呼び名。それで呼びかければ、目の前の初老の男は数年前に捨てた彼の本名をさらりと口にする。
「……ありがとう。」
感謝の言葉と共に、表情が崩れたのが自分でも分かった。それは、作り上げた『敦賀蓮』の笑顔ではなくて、ただ純粋に溢れた気持ちと共に変化した表情だった。
そしてそれは、最近ではキョーコに向けて思わず浮かべてしまう表情になっていて…数日前には、マリアや奏江の前でも浮かべてしまった笑顔だった。
「ふふん。『貸し』はたっぷり作らせてもらったからな。お前にゃあこれから1稼ぎも2稼ぎもしてもらうぞ?」
「お手柔らかにお願いしますよ?」
「バカ者!!甘えるな!!お前、最上君とうまくいったら馬車馬の如く働かせてやるからな!!最上君に厭らしいマネをする暇なんざ1年は作らせねェつもりだから覚悟しやがれ!!」
「え!?」
「俺のここ1カ月の不眠不休の悩みの種となった罪は重いぞ!!」
ズビシッと指を突き付けられて、蓮は目を丸くした。そして、眉を寄せて笑顔を作る。
「それじゃあ、もし最上さんの心が手に入った暁には、最後にご報告しますよ。」
「ふふん。逃げられると思うなよ?お前の感情の揺れなんざ、見たら一瞬で分かる。」
「じゃあ、会わないように頑張ります。」
「……。お前、とことん不遜な奴だよな。こんな親心溢れる事務所社長に口答えしまくりやがって…。」
爽やかな笑顔を浮かべてみせる蓮に対し、ローリィは、口をひんまげて「お前は昔っからそうだった……」と口の中で延々と呟き続ける。
「社長。」
「あぁ~~ん?」
「俺が最上さんの心を手に入れて、厭らしいマネができない期間が2年になっても構いませんから…。俺の願いを一つ、叶えてくださいませんか?」
視線の先にいる余裕綽綽の初老男は、蓮の言葉によって、口元へ持っていくはずだったウィスキーが入ったグラスを、ピタリと途中で止めてしまった。
「……ほっほ~~~。お前が、俺に願い事、ねぇ……。」
一瞬大きく見開かれた瞳は、次の瞬間には心底楽しんでいるような笑顔になった。
「はい。ぜひ叶えていただきたいんです。……俺のために。」
「よし。聞いてやろうじゃねぇか。言ってみろ。」
「何でも叶えてやるぞ。」と、まるで全知全能の神のように。手にしていたグラスをテーブルに戻すと、ローリィは姿勢を正し、蓮を見た。
面白そうに笑うその黒い瞳の奥の、海よりも深い穏やかな光を見つめながら。
一度大きく空気を吸い込んだ後。
「最上さんに……」
蓮は『願い』を口にした。