「お疲れ様でした。」
「お疲れ様でした、ありがとうござました。」
「お疲れ様でした~~。」
夜8時。ドラマ撮影のために訪れていたTBMでの仕事も終わり、すれ違うスタッフ達にあいさつをしながら蓮と社はスタジオを後にした。
「よし、今日は少し早いがこれで上がりだな。さっさと帰ってゆっくり休めよ?」
「…はい。ありがとうございます。」
「どっかで飯食っていくか…。お前、どうせ夕飯食べるつもりないんだろうし。」
「…………。」
スタジオを出て、人通りの少ない廊下に出た瞬間に笑顔を失くし、口数が少なくなった男の隣で、マネージャーは手帳を見ながら今後の予定を確認しつつ明るい声で提案をする。
「おい、こら。返事くらいしろ。」
「…はい。」
「うん、よろしい。」
蓮が倒れて以来、社はこれまで以上にマネージャーとして精力的に仕事をこなしていた。それまで蓮と同調するかのようにどこか不安定であった雰囲気も、すっかり普段の調子に戻っている。これまでと違うところといえば、たったの2点だけ。
「それじゃあ、30分後に地下の駐車場な。とっとと着替えてさっさと降りてこいよ?」
「……はい。」
1点目は、蓮を一人にする時間を増やした、ということ。
もともと、マネージャーである社が蓮の傍を離れることは、ほとんどなかった。だが、キョーコの事故の後……互いに心にゆとりがなく、切迫していた頃は、それまで以上に蓮の傍を離れることをしなくなった。
しかし、蓮が倒れた翌日からは、社は時間がある時には、なるべく蓮を一人にする時間を作った。
「…………。」
言うだけ言って、さっさと姿を消す社。その後ろ姿を見つめながら、蓮は小さな溜息をついた。この瞬間、彼は『敦賀蓮』の立場を捨てて、単なる一人の『おとこ』に戻る。
これこそが、社の小さな蓮への気遣いなのだ。
そして、もう1点は……。『最上キョーコ』の話題を一切、口にしないこと。
「…………。」
―――結局、その程度の付き合いってことなんですよ―――
キョーコに否定されてから一週間。…キョーコが、記憶を失ってから数えると、一ヶ月にもなる、今この時も。
蓮は未だ、キョーコとまともに話をすることもできずにいる。
―――キョーコちゃんを、よろしく頼むよ?…私は誰よりもあんたにあの子のことを頼みたい。…守ってやっておくれ。なにものからも。―――
キョーコと話もできない同居生活の間。蓮の頭の中にリフレインされる言葉は、愛しい少女が記憶を失ったあの日。ハッピーグレートフルパーティー以来、会うことがなかった優しい笑みを浮かべる女性のもの。彼女の親代わりとなっている下宿先の女将が蓮に頼んだ言葉だった。
―――『守る』の意味をよく考えるんだ。大丈夫。答えは近くにあるから。あんたならすぐに気づけるよ?―――
「……情けない……。」
口から零れ出た惨めな自身を責める言葉は、やけにか細く蓮の聴覚に響いた。それが一層惨めに思えて、蓮は自嘲してしまう。
―――本当に、情けない。『守る』どころか、ろくに会話もできないなんて…―――
記憶とともに、キョーコの中から居場所を奪われて。それ以来、何一つ進めていないことは誰に指摘されるまでもなく分かっていることだ。…そもそも、その点について誰かが蓮に対して言及することもないのだけれど…。
「どうしてあんたみたいな新人タレントが、敦賀さんと噂されるの!?」
物思いに耽りながら、人通りの少ない廊下を無意識に歩んでいたところに、女性のヒステリックな叫び声が聞こえる。
その言葉の意味を理解した瞬間。恐らくそのように非難をうけるであろう人物が脳裏に浮かびあがった蓮は、慌ててその声の聞こえた方向へと駆け出した。
「何か言ったらどうなのよ!?黙っているなんて、本気でムカつくわねっ!!」
そして、目の当たりにする現場。そこには、蓮と共演をしたことがある女優と、思った通りの少女が、目に痛いドピンク繋ぎを着て立っていた。