………ヒュ~~~~…………ド――――ン………
遠くで上がる花火。美しいその夜空に咲く花は、本当に綺麗で。私はいつも、特等席からこの花火を見上げている……。
「キョーコちゃん。」
松乃園の渡り廊下で見上げる花火。お仕事も一段落ついた私は、ぼんやりと外に見える美しい夜空に咲く花を見つめていた。
そんな私に、穏やかな男性の声がかかる。
「あ、橘様……。お帰りなさいませ。お祭りは楽しめましたか?」
優しい笑顔で私を見つめる壮年の夫婦は、松乃園のお得意様で。旅館の手伝いを始めた私を可愛がってくれる方々だった。
「あぁ。今年も盛大だねぇ。夜店を見てきたけれど、さすがの人の多さに私も早苗も疲れてしまってね……。」
「私達も年かなぁ…?」と笑う橘様に、奥様は「ふふふっ、もう若くないってことですよ。」と上品な笑い声とともに応じる。
「キョーコちゃんは、ここから花火見物かい?」
「あ…。はい。よろしければ橘様もいかがですか?ここでしたら人ごみもなく、静かに花火をお楽しみいただけますよ?」
この渡り廊下は、数年前から私がこの日の花火大会を見る、とっておきの場所にしている。
客室からも綺麗に見えるけれど、広いこの場所からだと余計に綺麗に見えることを知っているから、夫妻にも薦めてみた。
「いや、私達は部屋へ戻るよ。…でもね、その前にこれをキョーコちゃんに渡したくてね…。」
橘様は微笑むと、「はい。」と私に何かを差し出してきた。…それは、真っ赤な飴が包む、小さな姫リンゴ…。
「……え?」
「リンゴ飴。どう?キョーコちゃんは甘いものは好きかな?」
にこにこと、優しい笑顔を浮かべる橘様夫妻。
「も、申し訳ございません。あの…ここの仲居は、お客様からこのようなものをいただくわけにはいかないんです……。」
お気持ちは嬉しいけれど…規律を乱すわけにはいかない。私は深々と、お二人に頭を下げた。
「うん。知っているよ。…ここの仲居さんは本当によく教育されている一流の人ばかりだね。でも、これは私からのプレゼントではないんだ。」
「……え?」
私のお断りの言葉を、橘様は気を悪くすることなくむしろ感心したかのように何度も肯いて受け入れてくれた。でも、そのリンゴ飴を私の前から引くことだけはしなかった。
「キョーコちゃんは、綺麗な金色の髪を持つお友達がいるの?」
「……!!」
「これをくれたのはね、その金の髪の王子様だよ。」
奥様と橘様の優しいお声。その言葉に、即座に思い浮かんだ、穏やかな空気をまとう年上の男の子。…今日、お別れした本当に綺麗な『妖精の王子様』……。
「彼がね、君に渡してほしいって。…お友達からのプレゼントだから受け取ってあげてほしい。」
橘様は私を促すかのようにリンゴ飴を私の眼前へ突き付けてくる。
「……ありがとう、ございます……。」
私は、そのリンゴ飴におずおずと手を伸ばし…橘様の手から受け取る。
…途端に広がる、想い。
嬉しいような、でもどこかが苦しいような…胸が熱くなるような、でも、どこかに痛みをともなうような…不思議な、気持ち。
「……なるほど。まさしくこの実は『禁断の果実』なんだね。」
「え……?」
リンゴ飴をじっと見つめていた私は、その橘様の言葉に顔をあげる。すると、橘様は少し頬を染めて「いやぁ~~…。」と呟いた。
「若い二人に当てられたなぁ…。まだ幼いのに…。おじさん、君とあの子の先行きが不安だよ。」
「……え?」
「こんなにまだまだ幼いお嬢さんなのに…。全く、あの子も人畜無害な顔をして、本当に『悪い男』だなぁ…。」
「ふふふっ、将来が楽しみじゃないですか。」
「はぁ~~~…」と溜息をつく橘様に、奥様は楽しそうに笑ってみせる。
「キョーコちゃん、そのリンゴ飴には、魔法がかかっているのよ?」
「!!魔法、ですか!!??」
コーンの魔法はいつも素敵な気持ちを私にくれる。妖精界の王子様のコーンは、いつだって笑顔をくれる魔法を私にかけてくれた。
「そう。君が笑っているように、君が幸せであるようにと、たくさんの魔法をかけてくれているよ。…まぁその他にも効果がありそうだけれどね…。」
「…もう、あなたったら…。」
照明にあたり、艶やかに輝くリンゴ飴。…このリンゴ飴にも、コーンの魔法がかかっている……。でも、なぜかしら…。ここにかかる魔法は、キラキラ輝く優しい魔法だけではないような気がする。
「だから、眺めるだけじゃなくてちゃんと食べてあげてね?…食べないと、せっかくかけた魔法が効かなくて、あの子も悲しい顔をするんじゃないかしら?」
「!!いっ、いただきます!!」
奥様の言葉によって、私の脳内に悲しそうに表情をゆがめるコーンの姿が浮かぶ。…いけない!!コーンにそんな顔させちゃダメよ!!
慌てて私は、リンゴ飴にかかっていたナイロン袋をとり外し、リンゴ飴に口をつけた。
……途端に広がる、甘い味……
「……。…美味しい……」
「そう?よかったわね、キョーコちゃん。」
「私達も君に無事に渡せてよかったよ。…それじゃあね?キョーコちゃん。」
橘様は私の髪を優しくなでてくれた。…けれど、私はそんなお二人にあいさつをすることも忘れてしまっていた。視界の中にあるのは、真っ赤な真っ赤なリンゴ飴。
…コーンが、私にくれた。魔法のかかった甘い食べ物。
とても幸せな気持ちが胸一杯に広がって、私は思わず笑顔を浮かべてしまった。
同時に胸に広がる熱い『何か』。…それが何かは…私の心の奥底に、気付くことなく沈んでいった……。