「おい、そこのバカップル。」
彼女に触れるその一瞬前に。聴覚に響いてきたのは何やら楽しそうな男の声。
「お前らに10分だけ休憩をやる。」
ニヤニヤ笑いながらこちらに近づいてきたのは、新開監督だった。…面白いオモチャを見つけた子どものような笑顔を浮かべたその男の姿に、俺は内心舌打ちをした。
「ここじゃないところで、決着をつけてきたらどうだ?蓮。」
「…ご配慮、ありがとうございます。」
完全に俺で遊ぶ顔をしている男に対し、一瞬だけだが殺意を覚えてしまった。…どうして俺の周りには、俺の想いをそっとしておいてくれる人がいないのだろう…。
だが、監督がくれた10分。この10分は本当にありがたい。
1秒だって無駄にできないので、俺はにこりと笑顔を浮かべると、最上さんを連れてロケ現場から距離を取った。
「…最上さん。」
「…………。」
多分、混乱した状態のまま連れ出したためだろう。大人しく最上さんは俺のエスコートに従ってくれた。だが、ロケ現場が見えなくなったところで立ち止り、彼女に視線を向け、改めて声をかけた俺に対し、彼女は返事もしなければ視線をあわせてくれることもなかった。
「…ごめん。」
「…それは、何に対する謝罪ですか?」
俺の謝罪の言葉。それに対し、どこか冷たい声が俺の耳に飛び込んでくる。思わず押し黙る俺に、彼女は一瞬だけ唇をかみしめ、その後、また口を開いた。
「私のこと、お嫌いならそれはそれで仕方がないことだと思っているんです。出会い方も最悪でしたし、私、敦賀さんには苛立たせる行為をするか、迷惑をかけることしかしていませんから。」
「!!そんなことない!!」
「ご無礼の数々、本当に申し訳なく思っています。…決着をつけましょう。もう、これ以上ご迷惑をおかけしないためにも。」
彼女の声は、震えていた。やっと俺を見てくれたその瞳は、笑みの形に細まっていたけれど、零れ落ちる涙が彼女の悲しみを訴えている。
……あぁ、俺は本当に、君を泣かせてばかりだ……
「そうだね、つけよう。決着を。」
君を泣かせてばかりいる男。そんな『悪い男』の俺。こんな俺が、「君が欲しい」と口にすることは許されないのかもしれない。でも……。
ちらりと視線を向けた先の愛しい存在。…固く目を閉ざし、痛みを耐えるかのように唇を引き結び、俺からの言葉を待つ君。
そんな君に、俺は手を伸ばした。そっと触れた少女の頬は、滑らかな肌で気持ちがよかった。
「ふぇ?」
思わぬ俺の接触に、妙な声を出した少女。まだまだ純真無垢な可愛い人。驚きでぱちりと開かれた大きな瞳が俺を映した。
「…悪い男で、ごめんね。」
一瞬苦笑してから、俺は彼女の額にそっと口付けた。「ちゅっ」とわざとらしい音をたてて、少しだけ彼女の肌から唇を離す。
「……!!」
彼女の大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。そんな少女の変化を間近に見ながら、俺は彼女のこめかみに、涙が零れ落ちた瞼に唇を寄せていく。「ちゅっ」と音をたてて離れるたびに、彼女はビクリと全身を震わせる。その反応がとても可愛くて…染まる頬が、色っぽくて…
「……っ!!??」
「…好きだよ、最上さん。」
最後に、左の頬に口付けて。真っ赤に染まるリンゴのような右頬を、ぺろりと舐めあげた。
「いっ、いや~~っ!!キャ~~ッ!!破廉恥っ!!」
静寂が訪れたのは一瞬の出来事で。
大きく空気を吸いこんだ後。大音量のスピーカーも驚くほど、空気を震わせる彼女の大声が響き渡る。舐めあげられた右頬を抑え、涙を流しながら声の限りに叫ぶ彼女。瞳は混乱のためか、激しく泳いでいる。
「敦賀さんなんて嫌っ…んぐっ!!??」
次の瞬間、吐かれる言葉を予測した俺は、慌てて彼女の唇を塞いだ。…俺自身の、唇で。
彼女の口から俺を拒絶する言葉がでると、そう思った瞬間に、テンパッた俺がいた。…素でテンパッた俺は、やっぱり本能に忠実な男で…。
触れた唇の柔らかさ。温かく、どこまでも甘い、全身が痺れるような感触…。初めて口付けを交わした時だって、こんなにも心が震えはしなかった。それから幾度も経験して、ドラマ撮影でだって何度もしていた。
でも。
相手が『最上キョーコ』であるというだけで、この行為自体が特別なものになるなんて、知らなかった。
名残惜しいと思いながら、そっと唇を離す。
「…ごめん。でも、君が本当に好きなんだ。」
触れるだけで止めることができた自分自身を褒めてやりながら、少女の表情を伺う。愛しい君は、真っ白な肌を紅潮させ、小刻みに震えていた。俺が触れた唇は、そのほんのりと赤く染まった両手で塞がれてしまう。
「最上さん、俺を見て?」
俺の呼びかけに、それまで目を泳がせていた少女の瞳が、俺の瞳に固定される。…彼女の瞳の中の俺は、実に幸せそうな顔をしていた。
「今度、恋をするなら俺にして。俺以外をその瞳に映さないで。」
俺の懇願は、彼女の耳にどう聞こえているのだろう?…逃げない君にいい気になった俺は、とうとう最後の欲望を口にする。
「そして…どうか、君に触れさせて。」
彼女の唇は麻薬なのだろうか?痺れるほどの快感は、一度知ってしまったらなかったことにはできない。忘れられないその感触を、再び得るべく…俺は、彼女の両手を彼女の唇からそっと外す。
俺の視線に魅入られたかのように動かない君。逃げることもなく、拒否の言葉を口にすることもなく、ただ大きな瞳をこちらに向けている。彼女の身体を大木の幹に押し付け、俺は彼女の頬に両手を添える。
再び近づく、唇。
静寂の中、俺自身の鼓動の音だけが耳に鳴り響いていた。
そして。
そっと閉じられた彼女の大きな瞳。それを図々しくも『可』の合図として、俺は再び彼女の唇に、触れた。
ニ度目のキスは、彼女の『ファースト・キス』。俺が無垢な少女に植え付けた『役者の心の法則』。その大事な『ファースト・キス』を俺にくれた、君。その喜びに、身体が震えてしまう。唇をふれ合わせるだけでこんなに泣きたくなるなんて思わなかった。
まるで神聖な儀式のように。そっと触れ合わせた唇。…震える彼女の唇が愛おしくて、本当に気持ちよくて。先ほどよりも長く長く、キスをした。
「…んっ」
「……!!」
……舞い上がる俺の心は、その彼女の甘く漏れ出る息に、かなり敏感に反応をしてしまった。そっと唇を離すと、彼女は…行為で潤んだその艶っぽい瞳を、上目づかいで俺の視線に絡ませてくる。
俺は大きく息を吐きだした。…うん、我慢も限界だ。
「つるが、さん…?」
「…悪い男で、本当にごめんね?」
「ふぇ?」
俺は素早く時計を確認した。…5分ある。これだけあれば充分だ。
俺がこれから行うこと。何が何だか分かっていない、純真無垢な瞳を向けられるのは、今はちょっと心苦しい。
…でも。
「でもね、君だって充分『悪い女』なんだよ?」
君がいけないんだ。君が俺を煽るから。君自身の甘い香りで俺を誘うから。君が俺を魅了して離さないから。…こんなに俺に愛される、君が悪い。
そして三度交わされた口付けは。
一度目の『テンパッた』口封じの口付けとは違い。ニ度目の『幸せな神聖な儀式』のような口付けとも違い。本能に忠実な深い深い口付けとなった。
『紳士の敦賀蓮』をかなぐり捨てた、荒々しい口付けになってしまったその行為。彼女が息を吐くことさえ許さず、彼女を逃がさないように右手で頭を掻き抱き、左手を彼女の細腰に絡ませたそのキスは、大木と俺の間に挟まる少女を隙間なく俺自身で覆ってしまうものだった。
最初は驚きで逃げようとした彼女のその小さな抵抗さえ全て力でねじ伏せて、苦しいと口の中で叫んでいるだろう彼女を完全に無視し続けて夢中で貪ったその唇。どこまでも俺を魅了する、『君』という存在。その感覚を、その感触を、その香りを…。その全てを奪いつくしたくて、無我夢中になった。
10年前。魔法が使える小さなお姫様だった君は、俺に可愛い魔法をかけた。その時の可愛らしい魔法は純真な子どもの心に淡く疼く『想い』の欠片を残しただけだったけれど。…10年後、再び俺に魔法をかけた君は、今度こそ『恋』の魔法を完全に俺にかけてしまった。それは、10年の年月の間に『男』に成長した俺には刺激が強すぎて。
だから……
「…もう、逃がしてあげないから。覚悟、してね?」
激しいキスで気絶してしまった君を抱き上げ、ロケ現場へと戻った俺は、君に宣言と忠告をする。俺はもう、君なしで生きていけはしないんだ。だからこそ、全力で君を追いかけて、俺だけのものにする。
秘められなくなった想いは、満ちて溢れて留まる事を知らない。もはや俺にも止めることなんてできはしない。
逃げられるものなら逃げてごらん?俺の『本気』はこんなものじゃないからね?