わたしは先生になりたい | 「kyo-navi」スタッフブログ・・・・にしていこうや!

わたしは先生になりたい

 昨日のピーコを差し置いて僕が。とにかく自分のことを。

 現在28歳。

 25歳のとき大阪の下宿をやめて実家に帰ってきた。行っていた大学はほとんど行かず、中退した。その間に塾の講師を5年した。本当に大学は面白くなかったが、それ以前に入学したときから疲れきっていた。始めは2時間半ぐらいかけて通っていたから体力的に疲れていたし、中学・高校・浪人を通じて勉強や競争には精神的に疲れきっていた。大学合格はうれしくなかった。ただホッとした。もう勉強しなくてもいいと思った。小学校6年のときに行っていた塾が楽しかったので、塾でバイトを始めた。塾のバイトを始めてから大学に行く気がしなくなった。塾は片手間でできる仕事ではなかったし、塾のことを考えている方が、面白くない授業に出るよりもよかった。自分の進路や将来は考えなかった。

 とにかく学校に行くために、3回生になるときに塾をやめて下宿した。4畳半の部屋を自分で維持するために貧乏をした。二十歳の無謀な自立心から、親の援助を受けたくなかった。3日間でご飯1杯しかなかったとき(その1杯も炊くのに失敗して硬い芯が残ってた、笑)は、3日目の朝に立ち上がれなかった。学生とはいえ、なぜ経済的に自立するのがこんなに困難なのか。学校に行くために下宿をしたのに、下宿を維持するためのバイトで、また学校に行けなくなった。奨学金も止められた。大阪の塾での仕事が増え、間に合わせのコンビニの夜勤をやめた。週6~7回塾で仕事をし、週に2回は飲みに行き、仕事の話を深夜までした。週末は毎週徹夜で麻雀をした。疲れきるまで眠れなかった。

 現実から目をそらし続けることはできない。6年半在籍して卒業できないことは明らかになった(本当は3回生ぐらいから気づいていたが)。25歳で実家に帰った。1ヶ月はぼ~っとした。仕事を探そうと思った。親父に「何か仕事探す」と言ったとき、親父は「何すんねん?何かしたいことあるんか?」と言った。何もないことは分かっていた。「何でもいいから、好きなことせなあかん」とも言った。本人の責任でどうしようもなくなった息子に好きなことしろという親父は、心が広いのか、甘いのか。2週間自分と向き合った。やっぱり教師になろうと思った。子どものためなら頑張れたし、塾の一部の社員と(子どものためなら)やりあってきた。これなら自分にもできると思った。今はもっと積極的な教師像はあるが、それはおいおい。

 自宅浪人を経て今の大学に入学。卒業間際に30歳!おやじ・おっさん・おとうさん、何とでも言いなさい!おいしいネタにしてやる!!若い子たちと学ぶことは楽しいですな。みんなすばらしい。みんなが僕の歳になるときは絶対すごい人になってるはず。僕自身もっと成長できるし、成長は加速するもの。と、思う。

 ああ、真面目に書きすぎた。じゃ。

 次々回は子ども大好き、かつ☆を指名。