こちらはバレンタイン・ホワイトデー連続企画の短編小説になります。バレンタイン編、他の作品はこちらの目次から(





「――――ちょっと早いけど切りがいいから終わりにする」


 教室を出るとチャイムが鳴った。廊下を歩いていて2年A組の前まで来るとついそちらを見てしまう。と、後ろのドアからちょうど瀬川が出てくるのが見えた。あれから数日経つが相変わらず髪で頬を隠すように俯いていて、まだその頬は白くはない。ちらりと俺を見て会釈して通り過ぎようとした背中に話しかけた。


「瀬川さん。……怪我の具合はどうですか。大丈夫ですか?」


 振り返り、はい、とだけ瀬川は答えた。


「何でもないならいいですが、もしなにか困っていることがあるなら……言ってください。私でも担任の峰岸先生にでも。……余計なことですが」


 黙って軽く頷いて、行ってしまうと後味の悪さだけが残った。あれが本当にただの怪我なら、いつもの調子でその時の様子でもべらべらと喋るはずだ。


 死神なんて追っ払ってあげるよ、と瀬川は言った。あいつは、何の躊躇も無しに助けようと手を差し伸べてくれるのに、俺は、生徒を助ける立場にありながら、たとえ気になっていても勝手な手出しは出来ない。胸のつかえを感じたまま一日を過ごして帰途に着いた。





 駅のホームに着くと、何事も起こらないように、と願うのが癖になった。素行の良い生徒も悪い生徒も皆無事に、と思うのが教師として当然なのだが、前はそうは思えなかったのだ。ぼうっとしていると、入線のアナウンスと重なるように着信音が鳴った。仕事の用件かと急いで出ると母だった。


「もしもし?」


「征一郎?ああ、ごめんね。忙しいところ、今大丈夫?」


 電車を一本見送って話していると、用事は父の遺品を整理していたら使えそうなネクタイやセーターが出てきたが要るかというたわいないものだった。メールで済むことだが、声が聴きたかったから、と母は言った。


「いいよ。もう学校出たとこだったから。具合はどう」


「もうね、普通に生活出来るから大丈夫。一応って湿布だけはたくさんもらってるから、今度送ろうか。あんたも立ち仕事だし」


 電話の向こうの声は明るかった。


「大丈夫だよ。っていうか、そういう横流ししていいわけ」


「いいのよ。怖い思いしたんだからそれくらい元取らないと」


「そりゃそうだけどさ」


 父の百か日も過ぎて、自身の怪我も落ち着いてだいぶ調子が戻ってきたように思えた。


「じゃあ、体大事にして。それじゃ……」


「あ、征一郎」


「ん?」


「……最近、あんたちょっと変わったんじゃない?」


 母は言った。以前の俺はいつも疲れていて、何を話しても面倒臭そうだったと。俺が変わったのなら、それは日常の有り難みに気付いたからだ。気付いて、素直にそれを出せるようになったのは、大丈夫だと言ってくれた瀬川のおかげだった。


「先生っていうのも大変な仕事なんだろうから気になっていたんだけど、余裕が出来たみたいで安心した、って言いたかっただけ。じゃあね」


「……ああ」


電話を切ると次の電車が入って来たが、乗り込む気になれず、俺は階段を下りて反対側のホームに向かった。






 道は駅から真っ直ぐなので覚えていた。大きなマンションが立ち並ぶ住宅街、確かあのマンションだ、とそれを目指して行くが、行ってどうするという考えは頭になかった。ただそこまで行ってみようというだけで歩いていると、少し先に一台の車が止まった。助手席から降りてきたのは、制服姿の――――運転席からはスーツ姿の男が降りてきて、立ち去ろうとする女子高生を追いかけ呼び止める。瀬川、だった。


 男と瀬川はなにか言い争っているようだった。俺が口を出していいんだろうか。もし新しい男とかだったら――――そんな情ないことを考えていた時、男が取り出した携帯電話を瀬川が手で叩き落とすのが見えた。開いたまま落ちた携帯を瀬川は革靴で踏みつける。


「なにすんだ!俺の携帯」


 怒声が聞こえて思わず駆け寄ると、握り締めたこぶしを震わせた瀬川がこちらに気付いた。


「……せ……」


 言いかけた声に、瀬川の肩を掴んでいた男が俺を見る。


「……なんだよ。あんた。何見てんだよ!」


「俺は……」


 名乗っていいものか迷っている俺の声をかき消すように瀬川が言った。


「その人は征一郎!あたしの彼氏!あんたは、彼と会えない時の間に合わせよ。早く消えて」


 男は俺を見て


「彼氏?」


と訝しげに眉をひそめる。


「……ああ、そうだ。希生に何をした?返答次第じゃ警察呼ぶぞ」


 実際警察署の番号はすぐに出るようになっているスマホを取り出して言うと男は顔色を変え車に戻る。はっと思い出したようにこちらを向くのが見えて、俺は瀬川の足元にあった携帯を取り上げた。


「これ、あいつに戻ったらまずいのか?」


 無言で瀬川は頷き、俺は歩道脇の花壇のブロックにそれを叩きつけた。


「……てめえ!」


「なんだか知らないが理由も無しに希生はこんなことはしない。それともこいつに非があるというなら警察行って俺も同席して話してもいいが。壊れたコレも持ってな」


 男は悔しげに顔を歪めると、俺に向かって言った。


「どんな関係だか知らねえけど、あんただけじゃないぜ。こいつが付き合ってる男」


 捨て台詞を吐くとスーツの男は車に乗り込んで去って行った。後には唇を結んで壊れた携帯を見ている瀬川が残った。


「そこまでやったら中身の復元は出来ないだろう。電池側壊したからカードもいかれてるはずだ」






続く



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次回は3月12日に更新いたします