こちらは『流木』の続編です。過去の連載はこちらからご覧くださいませ→(☆ )




 翌週の水曜の夜、凪沙はサイクルショップワタナベに居た。店に顔を出すと渡辺は修理中らしい自転車をいじっており


「ごめんねー。凪沙ちゃんのは直ってるんだけど、ちょっと待ってね」


と店中響くような声を出す。店内にはAMラジオが流れており、自然と声が大きくなるのだろうかと思った。


「あとちょっと待っててくれる。そこの椅子座ってて」


 すみません、と隅にある椅子に腰かけようとすると、年季が入った木の椅子はミシミシと軋んだ。愛車のタイヤがパンクしたのは今朝の出勤途中のことだ。まだ七時半頃だったが前にも同じようなことがあったので駄目元で電話してみると


「ああ、いいよ。そこまで取りに行って直しといてあげるよ」


と快く修理を引き受けてくれた。チェーンを直している最中の渡辺は、もう六十は過ぎており自分の父親よりも年齢は上のはずだが、コーラスの他にもツーリングや釣りと趣味も多いらしいせいか、いつまで経ってもあまり老けたように見えない。黙ってその手元を見ていると、そうそう、と彼は言った。


「凪沙ちゃん、入生田君と知り合いだったんだって?」


「え?ああ、はい」


「日曜日かな?いつもの飲み屋で会ってさ。練習どうだった、って言ったら知り合いが居た、っていうから、ちょっとビックリしたよ」


 というのは、年齢差もあるし接点が無さそうという話かと思ったが、違った。


「彼さあ、あ、知ってるよね?娘さんと会ったってことは。離婚して今独りなの」


「……はい」


「そんなこともあったからか、どっか人嫌いっつうか、他人寄せ付けないところがあって、大きなお世話なんだけどちょっと気になってよく話しかけてたのよ。ほら、知らない土地でそういうのって、突っ張っててもホントは心細かったり、いろいろ不便もないかなと思ってさ。そしたら、凪沙ちゃんの話聞いたから、ああ、一応そういう人付き合いもあるんだなって安心したのよ」


「……でも、あたしだけじゃなくて、他にも……」


 以前、駅の近くで見かけた、女性と居た彼を思い出して言うと渡辺は


「え?」


と大きな声で聞き返す。


「あ、その、だから……実は身の回りのことやってくれるような女の人とかもちゃんと居るんじゃないですか?多分」


 渡辺は手を動かしながら首を傾げる。


「俺が知らないだけなのかもしれないけど、でも、彼に振られたって話は飲み屋の常連さんから聞いたことあるけど、決まった女性が居るような話は聞かないなあ」


「……振られた」


「うん。なんていうか、ちょっとこう雰囲気有るじゃない。彼。翳があるっつうか。だから女の子は寄って来るみたいだけど、突っぱねちゃうんだよね。見てると。そんで俺みたいなオッサンらと飲んでる方がいいみたいだから、よっぽどなんか――――まあ、女房に浮気された上に子供まで持ってかれたら、そういう風にもなるかもしんないなあ」


 ガチャン、と何か部品が嵌った音がして渡辺は立ち上がった。田舎の人間はお喋りだ。けれど、情が濃いというのは悪いことばかりではない、と凪沙は思う。


 凪沙の自転車を奥から引っ張り出してくると渡辺は言った。


「はい。修理代は……今回は実費だけでいいよ。クリスマスの助っ人にも来てもらったことだし」


「すいません」


「最近はやめる人の方が多くて、あんなホール借りてやるにはカッコつかなくなってきたとこだからね。入生田君も気に入ったら残ってくれるといいんだけど、仕事忙しいって言ってたから無理かな」


「ああ、今週は休むって言ってましたね」


「うん。なんかコンピュータ関係の?ああいうのは大変みたいだからね。今は事情知ってる人が上司だから前の会社よりはいいって言ってたけど……前はろくに休みも無くて働きづめで気が付いたら家の中そんなことになっちゃったみたいだからね。まあね、他人んちの事情なんて当人たちしか分からないけど、でも気の毒だよなあ」


 梅雨に会った時、仕事先に泊まって帰って来たところだ、と彼が言っていたことを凪沙は思い出していた。





 次の金曜日、早く着いたので楽譜をめくっていると


「こんばんは」


と隣に誰かが座った。こんばんは、と顔を上げると学生の時よく構ってくれた女性が居た。今は五十代くらいだろうか。顔は分かるが名前が出て来ない。相手は気にせず笑顔で話しかける。


「凪沙ちゃん。久しぶり。先週来たのは分かったんだけど、話しかけられなかったから。元気?」


「あ、はい。お久しぶりです。またお世話になります」


「え、ずっと来られるの?」


「いえ、クリスマスだけのつもりで……」


「そっか。やっぱり。……まあねえ、忙しいだろうからね。彼も?」


 彼、というのは鷺沼のことだ。いつも一緒に居たのでセットで覚えられているらしい。


「うーん。多分そうじゃないですかね」


「そっか。ここもだんだん寂しくなっちゃったからね」


 ぐるりと集会場を彼女は見回す。多い時には五十人近く居た記憶があるが、今は全部で三十人ぐらいか。渡辺があちこちで声をかけるわけだと思う。


「ねえ、話は変わるけど、凪沙ちゃん、まだ独身?」


「……はい」


「結婚しないの?彼と」


「は?」


 そうか、と思う。彼が転勤したのは昔から居る人は皆知っていても、だから別れたということにはならず、いまだに自分たちが付き合っていると思っている人たちも居るのだ。いえ別れました、とも言えず凪沙は首を傾げる。すると誤解したのか相手は言った。


「付き合いが長いとね、タイミング逃しちゃうこともあるけど――――」


「あ、始まる前にちょっとトイレ行ってきますね」


 立ち上がりドアを出てため息をついた。鷺沼はまだ来ておらず、休むと言っていた入生田の姿も当然無かった。



 前半の練習は『荒野の果てに』などのクリスマスソング。他の今年の曲目はサウンドオブミュージックなどの映画音楽と童謡。取っつきやすくていい、と譜をめくりながら凪沙は思う。とはいえ、だから簡単に歌えるかと言うと話は別で、やはりブランクがあると声が出にくい。腹筋が痛くなるのを感じているとあっという間に休憩時間になる。


 次から次に回ってくる差し入れの喉飴を受け取っていると、ぽんと肩を叩かれた。振り返ると鷺沼が手を上げてテノールの席に向かうところだった。隣の女性が目ざとく声をかける。


「あら、鷺沼君も来たのね」


「……そうですね」


「まだ制服来てたあなたたちがこんな大人になっちゃったんだから、自分が年取るわけよね」


 寂しそうにため息をつく彼女に愛想笑いを返して、特に用は無かったが話から逃げるために携帯をバッグから取り出すとメールが一件来ていた。


『帰り、ちょっと時間ある?』というメールは鷺沼からだった。テノールの他の男性と話している彼を見ながら凪沙は考える。先週別れた後も、今度は二人で話したいというメールが来ていた。単に、入生田が居て話せないこともあったから、という意味に取っておこうと思いながら、了解、とだけ返信した。







続く



お読みくださりありがとうございます


次回は12月12日木曜日に更新いたします



ここから先は登場人物のイメージを壊したくない方はお読みくださいませんよう…


ブロ友さまに教えて頂いた似顔絵イラストメーカー で今回のキャラのイラストを作ってみましたので、こっそりアップします


一応みんなコンサート用のフォーマルスタイルのつもりで・・・




凪沙

RAY OF LIGHT ~秋月伶短編小説衆~



鷺沼

RAY OF LIGHT ~秋月伶短編小説衆~



入生田

RAY OF LIGHT ~秋月伶短編小説衆~





入生田は多分普段はもっとボサボサっとしてるはず…。


ちなみに、他の話のキャラも作ってみましたが、海棠はリアルに再現するとホントに「親父」になってしまいました汗難しい…