手詰まりになってしまった卒論の草稿を脇にのけて、夏目漱石の『門』を再読した。おどろいたことに、いや、ある意味では当たり前なのだが、以前に読んだときに比べて、この物語のなかに見られる生活描写が妙に目に留まり、そしてそれが漱石の夢であったことを江藤淳の批評によって知っている僕は、ある感慨を覚えるようになっていた。

 

生活、とりわけ夫婦の日常という意味において、漱石の『門』には、たびたび訪れる不吉さや不安の反面、透きとおるような幸福が染み渡っている。壊滅的な破綻の兆しが夫婦の影につきまとっているのにもかかわらず、明治時代の東京という華やかになりし世間から明らかに隔絶した、なんでもない会話や生活描写の端々に二人だけの深みがある。

 

二人の人生が安楽だというわけではない。しがない公務員の宗助は穴のあいたクツを履いているし、神経質で病気がちな御米はすでに三度も流産している。二人が住む家は、雨漏りのする安普請で、宗助の弟である小六が居候すれば手狭になってしまう程度の広さしかない。こうした状況を現実にしてみれば、まったくの悲惨と言うほかない。

 

それにもかかわらず、物語の特に前半は、幸福なのだ。若干の批評的な目で見れば、この夫婦の幸せの鍵は、外部の世間における殺伐とした金銭のやり取りに対して、二人のあいだに登場する洋燈(ランプ)や炬燵や火鉢といった「暖かいもの」の象徴にあるのだろう。

 

ところで、宗助の若いころは、才気の漲る当世風の青年であったらしい。それがある事件を契機にして、どんどんと老いていく。実際の年齢とは比較にはならないほどに、ぼんやりとした頭になっていってしまう。そうして、のらりくらりとしためんどくさがり屋の男になるのだが、ともあれ、小説の内容紹介がしたいわけではないので、ここまでにしておこう。

 

卒論で宮台真司を論じる過程で、「関係性モデル」という概念を知った。宮台の言葉を借りれば、「これってあたし!」と思える作品や人物に出会うと、それを実際の自分の人生でも模倣するようになるわけである。要するに、「人生のお手本」あるいは「ロールモデル」のようなものだ。僕の同世代が、この「関係性モデル」をどこから拾ってくるのか、僕はまったく知らない。それはドラマ番組なのか、マンガなのか、誰かのブログなのか、あるいはファッション雑誌なのか、僕には分からない。ただ、僕の場合には、振り返ってみると、往々にして、やはり「文学」であったということである。

 

この意味で、僕にとっての決定的な人物を挙げると、まず沢木耕太郎。バックパッカーの旅だ。次にアルベール・カミュ。不条理の世界における意識。そして最後に来るのが、夏目漱石。人生である。こうして並べてみると、本当に一貫性のないちぐはぐさが目立つけれども、まぁ読書なんてそんなものだ。

 

夏目漱石でまず感動したのは、前期二番目の著作『それから』だった。主人公の代助は僕だった。別に代助ほど頭がいいわけではないけれども、社会的な活動を何もしない代助の知識人的な厭世感やニヒリズムに、当時の僕、とは言ってもたった一年前の僕は、強烈な共感やシンパシーを感じた。そして、そんな代助が燃えさかるように激しく動く東京のなかで、三千代とともに生き延びるために「仕事」を探しに行くラストシーンは、もはや感動なんて安っぽい言葉では言い表せなかった。この最後の場面で、代助は、何も未来の見えない僕に、村上春樹のように言えば「引き延ばされた袋小路」で立ちすくむ僕に、その「向こう側」を見せてくれた。

 

そして『門』は、登場人物こそ違えど、物語の文脈から見て、ある程度では『それから』の続編と言える。そして今の僕は、いつの間にか自分が『それから』の「向こう側」にいることに気づいた。ついに代助は仕事を手に入れたのである。だがしかし、僕はまだ『門』の宗助ではない。仕事はあっても、まだ学生だし、なにより生活がない。だからこそ、『門』を再読する必要があるように思えたのだ。

 

『門』の世界において、この夫婦にたびたび訪れる不吉さや不安は、たんなる個人的な問題ではない。漱石はそれを御米の謎の病気や精神的なヒステリーとして描いているけれども、中島一夫の批評によれば、それは資本主義の周期的な破綻を示しているという。ともあれ、ここまで大きな話にしなくても、社会的に起こる理不尽な事件や問題が、平穏な心や生活のなかにたびたび侵入してくるということの、そのメタファーとして『門』を読むことは、かなり妥当だと思われる。

 

常に不吉な翳を自分の背後に感じながら、しかし平穏で質素な日常生活を送るという、この物語の世界観は、僕にとってやたらとリアリティーがあるのだ。アニメのいわゆる「日常系」には、この「翳」がない。だから、その類の作品を見ても、何も感じないし、何も記憶に残らない。もちろんそれらを否定するわけではない。だが、日陰と日向があるように、やはり生活もそうではないのかと思うわけだ。

 

繰り返し言うが、秋山駿をまねれば、僕は未だに「生活なき生存」を続けている。言い換えれば、具体的な品物や出来事の固有名詞、そして肉体や感情といった身体性を、まだ取り戻せずにいる。抽象的な世界で、社会や他人の骨組みをレントゲン写真のように見て、カルテのようなものを書くことしかできていない。僕はまだ生活の世界に入り切っていないように感じる。

 

何かを知ったような中途半端な戯言をやめるところから始めなければならない。そう、だから、また来てしまったのだ。半年か一年のあいだに必ずやってくる、人格の転形期が。自己を否定することによって新たな自己を析出するような、痛みをともなう変化を起こさねばならない。だが、これまでとは異なる点が一つだけある。このような自己言及をやめること、言い換えれば、自分の感情を去勢せず、剥き出しの何かが生活や他者に触れるまで、何も考えないということだ。

 

これまでの僕にとって、生活は夢物語でしかなかった。そんなものはフェイスブックのフィードに流れてくる断片的な情報であり、ともかく他人事だった。だが、今の僕は、何よりも生活がほしい。生活を生活と言わず、その日々を細部によって語れるようになりたい。それが「成熟」なのか「大人になる」ということなのか、そんなことは知らないけれども、ともかく僕の最も強い欲望は、「生活がほしい」という一言に尽きる。

 

ともあれ、まずは授業と卒論と仕事、この三つをやっていかなければならない。

この現実を、生きねばならない。