大坪勇二さんのメルマガより、以下。ご覧下さい。
さて、今日は
「田中角栄に学ぶ人間関係の極意」だ。
極論しちゃえば、
ビジネス=人間関係だ。
お客から好かれれば、売り上げを伸ばすのは簡単だし、
優秀なチームメンバーが集まってくると会社は成長軌道にのる、
というのは会社を経営していて実感するところだ。
では、
人間関係の達人だった故田中角栄氏は?
刑事被告人ながら、
保守政治を支配し、
22万票の最大得票で選挙に勝利した。
そこまで人を惹きつけた秘密はなんだったのだろう?
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【1】田中角栄流人間関係の極意
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「田中は政治の場以外でも、冠婚葬祭をとりわけ大事にした。
それも祝い事以上に弔い事を大事にしたというのが特徴だった。
仮にそれが政敵であっても市井の一市民であっても一切差別するこ
一度結んだ人間関係は極めて大事にした」
その理由がふるっている。
「
しかし、弔い事は別だ。
皆、落ち込んでいる。
少しでも慰めてやるのは当然だろう。」
というものだ。
「分刻みの幹事長時代、あるいは首相の座を降りても
”キングメーカー”としてなお超多忙をきわめた時代でも、
スケジュールをやりくりしてはあちこちの通夜、
さらにはこんな話も。
「私の亡くなった父親がまだ入院中の時でした。
同じ病院に、
同じ田中派の梶山静六さん(元官房長官)
私は父親の見舞いの折には、
いつもこの運転手の病室に顔を出していたんだが、
ある日、この運転手が青い顔をして私に言うんですよ」
なぜか、
「で、私は院長に聞いてみた。すると、どうだろう、院長いわく、
”田中角栄先生から電話をいただきましてね、
田中さんという人は、一運転手にもそういうことをする人だった」
また、こんな話もある。
田中派ではない、あるライバル派閥に属していた政治家の証言だ。
「家内が亡くなった。密葬を東京でやり、本葬はその後、
本当のために遺骨を持って郷里に帰った私に、
”政界では田中角栄先生のお花が一番早く届きました”と。
そうかとその花を見てみると、
どういうことかと質すと、
”枯れた花では仏様がかわいそうだということなのでしょう。
途中でまた、新しい生花に変えられたんですよ。
私は驚いた。
花をいただくことは職業柄多いが、
そこまで気配りを示してくれた人はこれまで一人としていなかった
(以上、講談社「田中角栄経済学」より)
繰り返すが、この人物は田中派ではなく、別派閥の政治家なのだ。
角栄氏の人との接し方、
付き合い方がわかる逸話だと思う。
田中角栄氏が活躍した昭和と今とは時代背景も違うし、
彼の事績を100%支持するわけでもない。
しかし、その”熱さ”、
人間関係にも仕事にも一切手を抜かずに目標に受かって生き抜いた
やっぱりかっこいいと、それでも思うね。