大坪勇二さんのメルマガより。以下。ご覧下さい。
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【1】田中角栄流カネを活かして使う極意
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「新潟県長岡市で当時、
熱烈な田中信奉者にして、長らく田中の後援母体だった「越山会」
このKの愛妻が亡くなった。
で、角栄氏はK氏を呼び、
「今の君の心境はオレにはよくわかる。しかし、政治家は公人だ。
一刻も早く気持ちを切り替え、大衆のために尽くさねばいかん。
仏壇でも買ってほしい」
ちなみにこの前月、角栄氏は実母を亡くしていた。
今の百万円ではない。
この当時の百万円だから、今でいえば2,
一市会議員への亡妻のそれとしては、
Kはのちに、こう述懐している。
「過分にすぎる。そりゃあ驚きました。
が、せっかくの先生のお心ですし、
2ヶ月かけ手作りの立派な仏壇を作らせていただきましたよ。
先生への私の気持ちはよりつのったのは、
なんとも”泣かせる男”でしたね。」
ロッキード事件後の昭和58年総選挙では、
角栄氏は旧新潟3区で、
落選どころか過去最高の22万票を得て再選するのだが、
その時にはこのK氏の活躍が裏にあったという。
また、官僚と仕事をする上でもこんなカネの使い方をした。
大蔵大臣時のこんな証言がある。
「とにかく記憶力に関しては抜群の人でした。
廊下で声をかけられ、
”キミ、来月で結婚十年だろう、ヨシッ、今度、
一緒に飯でも食おうや”
当時私は課長でしたが、
角さんは課長級以上のプライバシーリストというのを持っていて、
入省年次、誕生日、結婚記念日、
全部頭の中に入っていました。」
「それから何日か後に夫婦で目白の方に行きましたよ。
家内は、”あなた、大臣にこんなに目をかけられて素晴らしい”、
なんて喜んでましたが、
私も大臣に覚えめでたいで悪い気はしなかった。
で、帰りに
”国家国民のため、いい仕事をしてくれ。
と分厚い袋を頂戴しました。
三十万円入っていたので、
家に帰ってしばらく夫婦で黙って顔を見合わせていたものです。
正直、これでいいのかなという思いはありましたが、
結局はグッドタイミング押し切られたということだった」
(以上、講談社「田中角栄経済学」より)
まあ、コンプライアンス意識の強い現代で、
こんな渡し方が果たして許されるかどうかは置いておいて、
角栄氏の人との接し方、
お金の使い方がわかる逸話だと思う。
お金の使い方で、
その人の人となりがわかるものだよね。
しかし、
お金は正しいタイミングでわたなさいとかえってしくじる。
人はカネに対して、
負担感や罪悪感を持つものだからだ。
そんな失敗が私には何度もある。
では、そのあたり、
人間関係の達人だった角栄氏はどうだったのか。
というわけで、次回は角栄流「人間関係の極意」だ。
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